ナホトカ支線(シベリア鉄道)の寝台に乗る…1980年夏(その12)2022/03/02 10:36

A.ジノビエフ 作・画、川崎浹 訳
『酔いどれロシア : 戯画詩集』
岩波書店、1991年

<二日酔いの祈り>
教育からいいますれば無神論者
だが気質からいいますれば信者。

これはハバロフスクの街。赤い車はモスクビッチだろうか。この銅像はハバロフとかいう人物だろうか。ハバロフスクはちょっとぶらついた程度で観光と言えるほどまでの行動はしていない。しかし、若者たちがいっぱい集まってきて、会話をした記憶がある。当時はロシア語も一番話せた時だったので、会話もスムーズだった。その後、仕事でも全く使っていないので、ロシア語はすっかりさびついてしまった。しかし、10年くらい前にサハリンに行ったら、基礎的な会話はできたので、旅行するくらいは大丈夫なようだ。


ナホトカ支線(シベリア鉄道)の寝台に乗る…1980年夏(その13)2022/03/08 10:17

A.ジノビエフ 作・画、川崎浹 訳
『酔いどれロシア : 戯画詩集』
岩波書店、1991年

<衣服の規律>
外見のことはかまうな。
イワンよ希望は捨てろ。

列車の窓から身を乗り出して、曲がるところを撮った。なかなかいい感じに取れている。ソ連の線路の幅は日本よりは広かったと思う。というか日本の線路の幅が国際的にみても、狭すぎると思う。当時は、東ドイツは社会主義国の中では先進的だと聞いていたので、機関車の性能もかなりいいのかと思った。バスはハンガリー性が多いなど、ソ連の同盟国でいろんな生産の分担を決めていたようである。シベリア鉄道をフルで乗るというツアーや旅行もありだが、1週間もシャワーも浴びられないと聞いて、そうした選択はしなかった。


ナホトカ支線(シベリア鉄道)の寝台に乗る…1980年夏(その14)2022/03/15 10:02

A.ジノビエフ 作・画、川崎浹 訳
『酔いどれロシア : 戯画詩集』
岩波書店、1991年

<弔事>
それでも最後に、こうつけたしてくれ、
ここに彼は永眠する、されば世界は、
酔いどれの一瓶分だけ低くなったと。

<去りゆく者への挽歌>
こうべを低く、
さげなさい、
さげなさい、
さげなさい!

 ここはハバロフスク内のちょっとした公園だろうか。もう帰りの旅程なので、見るとしたら最後のものになるだろうか。こちらがロシア語が話せるとわかって、若者がいっぱい寄ってきた。そのうちの一人の写真撮影をしたものだ。当時の旅程表などなくしてしまったが、この時は次の列車に乗るまでちょっと時間があったのだろう。ハバロフスクをちょっとみる時間もあったのだと思う。しかし、ハバロフスクの中心街に出ることはしなかった。駅周辺あたりを、少し散策した程度だ。こうして旅で出会った人たちも自分と同じように年をとっているだろう。当たり前のことであるが、世界で同じ時間が流れているのも不思議なことだ。しかし、子どもと大人、田舎と都会では時間の流れ方は全く同じとは言えないだろう。


午後のヘルシンキを歩く…2013年夏(その1)2022/03/22 10:08

森本覚丹訳
『カレワラ-フィンランド国民的叙事詩(上)』
講談社学術文庫、1983年

かくも陰気なる北の地にて、
荒涼たるポホヤな地にて、

 午前中は雨もかなり降って、肌寒い天気で、夏らしい気分はまったく味わえなかった。軽い昼食をとってから、午後からのヘルシンキの散策を始めることとした。曇りがちの天気は続いているが、雨が降っていないので助かる。あわてて買った傘がちょっと邪魔になるが。


午後のヘルシンキを歩く…2013年夏(その2)2022/03/29 10:12

森本覚丹訳
『カレワラ-フィンランド国民的叙事詩(上)』
講談社学術文庫、1983年

それよりは嵐はまき起り、
大風は東より来り、

 鳥たちが残飯を巡って激しい争いをしている。カモメと他の鳥の争いだろうか。カモメだかウミネコだか正確なところはわからないが。歩道には落書きもあって、ますます殺伐とした雰囲気が増してくる。