ベルリン地下鉄(その3)…2001年夏 ― 2014/04/29 06:44
海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年
藤森成吉<ベルリンの春>
「一つ話しかけてみようか?」
僕は女房と話し合って、彼がベンチへ近寄って来た時いきなり声をかけた。
「ハロウ! いい天気ですね。」
「全く……全く。」
話し度くて仕方なかったように、向うからもニコニコ寄って来てベンチへ並んで腰を掛けた。
ベルリンのポツダム広場の駅。ポツダム広場はベルリンの壁設置に伴い、東西に分裂した過去がある。ドイツ統一後、このあたりは開発が急速に進んでいる。旧東ドイツの建物は予想以上に劣化していただけに、新しい建物に建て替えやすかった。最初はウンターデンリンデン、テレビ塔など旧東ベルリン地区を見て回った。
旧東ドイツと旧西ベルリンは地下鉄の電圧系統などは同じだったのだろうか。利用する予定はなかったが、地下鉄を乗り継いで、旧東ベルリン地区のシェーネフェルト空港まで行ってみた。周りの風景もすさんだ感じになってくる。心なしかちょっとさびしい印象がした。
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年
藤森成吉<ベルリンの春>
「一つ話しかけてみようか?」
僕は女房と話し合って、彼がベンチへ近寄って来た時いきなり声をかけた。
「ハロウ! いい天気ですね。」
「全く……全く。」
話し度くて仕方なかったように、向うからもニコニコ寄って来てベンチへ並んで腰を掛けた。
ベルリンのポツダム広場の駅。ポツダム広場はベルリンの壁設置に伴い、東西に分裂した過去がある。ドイツ統一後、このあたりは開発が急速に進んでいる。旧東ドイツの建物は予想以上に劣化していただけに、新しい建物に建て替えやすかった。最初はウンターデンリンデン、テレビ塔など旧東ベルリン地区を見て回った。
旧東ドイツと旧西ベルリンは地下鉄の電圧系統などは同じだったのだろうか。利用する予定はなかったが、地下鉄を乗り継いで、旧東ベルリン地区のシェーネフェルト空港まで行ってみた。周りの風景もすさんだ感じになってくる。心なしかちょっとさびしい印象がした。
ベルリン地下鉄(その1)…2001年夏 ― 2014/04/24 20:20
海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年
藤森成吉<ベルリンの春>
一九三一年五月二十四日。
それは、二十五日と共にプフィングステン(聖霊降臨歳)に当ってた。此の古来からの宗教的祭日の休暇を利用して、ドイツプロレタリアートはピクニックをやったり、旅行したり、大デモをやったりする。生憎ベルリンでは、当日特別大きな集会もなかったので、僕達夫婦は春をたのしむべく、朝からフリイドリッヒス、フェルデの墓に出掛けた。
ローマからチューリッヒ経由でドイツの首都ベルリンにやってきた。タクシーの運転手の紳士的な態度、清潔な街並みが印象的だった。初日はホテル周辺を徒歩で歩いた。翌日から本格的に街を回ることにする。
やはり地下鉄が便利だ。東西ドイツが統一し、東西ベルリンも一緒になって、当然のごとく地下鉄の仕組みも統合された。ベルリンの地下鉄は複数の路線が並行して走っているところが多い。
料金などもゾーンによってざくっと決まっており、日本のような細かすぎる仕組みにはなっていない。1日乗車券を使えばもっと便利。地下鉄は改札はなく、抜き打ち検査で"薩摩の守"を取り締まる仕組みだ。
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年
藤森成吉<ベルリンの春>
一九三一年五月二十四日。
それは、二十五日と共にプフィングステン(聖霊降臨歳)に当ってた。此の古来からの宗教的祭日の休暇を利用して、ドイツプロレタリアートはピクニックをやったり、旅行したり、大デモをやったりする。生憎ベルリンでは、当日特別大きな集会もなかったので、僕達夫婦は春をたのしむべく、朝からフリイドリッヒス、フェルデの墓に出掛けた。
ローマからチューリッヒ経由でドイツの首都ベルリンにやってきた。タクシーの運転手の紳士的な態度、清潔な街並みが印象的だった。初日はホテル周辺を徒歩で歩いた。翌日から本格的に街を回ることにする。
やはり地下鉄が便利だ。東西ドイツが統一し、東西ベルリンも一緒になって、当然のごとく地下鉄の仕組みも統合された。ベルリンの地下鉄は複数の路線が並行して走っているところが多い。
料金などもゾーンによってざくっと決まっており、日本のような細かすぎる仕組みにはなっていない。1日乗車券を使えばもっと便利。地下鉄は改札はなく、抜き打ち検査で"薩摩の守"を取り締まる仕組みだ。
サンフランシスコ近代美術館…2007年秋~冬 ― 2013/10/19 07:46
アラム・サロイヤン著、三谷貞一訳
『花のサンフランシスコ』
晶文社、1982年
ルーは自分の車を時空の彼方へ連れてゆくタクシーに変える。サンフランシスコの秋、澄んだ日の光の中を飛び交う飲んだくれのパーティ。ルーは仏教徒が共同で暮らしている<イースト・ウエストハウス>に住んでいる。しかしジャックは感謝祭までには、ノースポートの屋根裏部屋の書斎に帰りたがっている。
カリフォルニアで研修を受けていた時に、週末が観光の日となった。午前中と昼過ぎまでサンフランシスコを案内してもらって、その後は自由な時間ができた。バークレーあたりまで行こうと思ったが、あまり土地勘もない。
そこでサンフランシスコ近代美術館 (SFMoMA)を見ることにした。わかりやすい場所にあるので、すぐ見つけることができた。サンフランシスコでの残された時間も少ないので、速足で広い会場を巡る。アンディー・ウォーホル等の有名な芸術館の作品もあり、近代的なものばかりなので、しっくりくる。
『花のサンフランシスコ』
晶文社、1982年
ルーは自分の車を時空の彼方へ連れてゆくタクシーに変える。サンフランシスコの秋、澄んだ日の光の中を飛び交う飲んだくれのパーティ。ルーは仏教徒が共同で暮らしている<イースト・ウエストハウス>に住んでいる。しかしジャックは感謝祭までには、ノースポートの屋根裏部屋の書斎に帰りたがっている。
カリフォルニアで研修を受けていた時に、週末が観光の日となった。午前中と昼過ぎまでサンフランシスコを案内してもらって、その後は自由な時間ができた。バークレーあたりまで行こうと思ったが、あまり土地勘もない。
そこでサンフランシスコ近代美術館 (SFMoMA)を見ることにした。わかりやすい場所にあるので、すぐ見つけることができた。サンフランシスコでの残された時間も少ないので、速足で広い会場を巡る。アンディー・ウォーホル等の有名な芸術館の作品もあり、近代的なものばかりなので、しっくりくる。
ベルリン博物館島(その2)…2001年夏 ― 2013/10/17 20:07
『ベルリン・ノワール』
扶桑社、2003年
フランク・ゴイケ著/「ガードマンと娘」
ユリアーネは不平も言わずについてきた。異国的な容貌にもかかわらず、彼女は家庭生活を愛し、いったん築き上げたその秩序に、しがみついた。彼女は士官の妻には向いていなかったのだ。最初の異動のとき、彼女はこらえただけだった。そして妊娠した。二度目の異動のあと、彼女は離婚を申し出た。東ドイツが崩壊に瀕していたころ、彼女はギリシャ人と再婚し、俺の娘も引き連れて、エーゲ海方面に行方をくらました。その後一度として音信はなかった。
この博物館島には、旧博物館、新博物館、旧国立美術館、ボーデ博物館、ペルガモン博物館の美術館がある。それにしても、英国、フランス、ロシアなどと並んで、ドイツにも立派な美術館があり、人類の遺産ともいえる多くの作品を保存している。ドイツ統一後は東西両ベルリンの美術館を整理統合し、一元的な運用が行われている。
なお美術館を見る際に、手荷物を預けないといけないらしい。どうしたらいいのか聞くが、はっきりしない返事。もう一度聞くと、係官が怒った。「そこに書いてあるだろうが」と。旧東ベルリンだからと決めつけるわけではないが、接客マナーに慣れていなかったのかもしれない。それでも美術品はなかなかのものだった。こうした係官と世界有数の美術品とのギャップがある意味面白かったともいえる。
扶桑社、2003年
フランク・ゴイケ著/「ガードマンと娘」
ユリアーネは不平も言わずについてきた。異国的な容貌にもかかわらず、彼女は家庭生活を愛し、いったん築き上げたその秩序に、しがみついた。彼女は士官の妻には向いていなかったのだ。最初の異動のとき、彼女はこらえただけだった。そして妊娠した。二度目の異動のあと、彼女は離婚を申し出た。東ドイツが崩壊に瀕していたころ、彼女はギリシャ人と再婚し、俺の娘も引き連れて、エーゲ海方面に行方をくらました。その後一度として音信はなかった。
この博物館島には、旧博物館、新博物館、旧国立美術館、ボーデ博物館、ペルガモン博物館の美術館がある。それにしても、英国、フランス、ロシアなどと並んで、ドイツにも立派な美術館があり、人類の遺産ともいえる多くの作品を保存している。ドイツ統一後は東西両ベルリンの美術館を整理統合し、一元的な運用が行われている。
なお美術館を見る際に、手荷物を預けないといけないらしい。どうしたらいいのか聞くが、はっきりしない返事。もう一度聞くと、係官が怒った。「そこに書いてあるだろうが」と。旧東ベルリンだからと決めつけるわけではないが、接客マナーに慣れていなかったのかもしれない。それでも美術品はなかなかのものだった。こうした係官と世界有数の美術品とのギャップがある意味面白かったともいえる。
ベルリン博物館島(その1)…2001年夏 ― 2013/10/15 20:52
『ベルリン・ノワール』
扶桑社、2003年
テア・ドルン著/「犬を連れたヴィーナス」
Sバーンは、崩壊した家々の前を、がたがたと音とたてながら走り抜けていく。
”ベルリンに安楽死を!”彼女はすべての車輪と唱和して、そう叫んだ。
ハイナー・ラウ著/「廃墟のヘレン」
ああ、ダニエル、きみは笑っているな。だが、ドイツの連邦議会のシュテファン・ハイムがその上、何と言っているか? われわれ東の人間は、魂を失い、スポイルされた西の人間のような物質主義者ではない。そうではなく、われわれの欲しいのはただ、支払い可能な住居、絶対確実な職場、子どもたちののための完全に保証された未来、安価な車とガソリン、格安な旅行だけだ。
ローマからベルリンにやってきた。イタリアとドイツはある意味対照的でそれぞれに良さがある。どちらの街でも空港からタクシーに乗ったが、ローマでは携帯片手で乱暴な運転をしていた。時々他のドライバーを怒鳴っていた。ベルリンに着くと、タクシーの運転手も紳士で、英語もうまかった。街について説明もしてくれる。ベルリンの街も緑がいっぱいでとても美しい。
最初に旧東ベルリン地区を散策する。ウンター・デン・リンデンやテレビ塔を見る。さらにこのあたりを歩く。ベルリン大聖堂も見える。博物館島といわれる地域にたどり着いた。
ドイツ統一まで、当然のことながら、このあたりの美術館は東ドイツの管理下に置かれていた。シュプレー川の中州に5つの美術館が建てられている。まさに世界の芸術作品が集まっている場所だ。全部見るわけにもいかないので、一部の館をさっと見る。
扶桑社、2003年
テア・ドルン著/「犬を連れたヴィーナス」
Sバーンは、崩壊した家々の前を、がたがたと音とたてながら走り抜けていく。
”ベルリンに安楽死を!”彼女はすべての車輪と唱和して、そう叫んだ。
ハイナー・ラウ著/「廃墟のヘレン」
ああ、ダニエル、きみは笑っているな。だが、ドイツの連邦議会のシュテファン・ハイムがその上、何と言っているか? われわれ東の人間は、魂を失い、スポイルされた西の人間のような物質主義者ではない。そうではなく、われわれの欲しいのはただ、支払い可能な住居、絶対確実な職場、子どもたちののための完全に保証された未来、安価な車とガソリン、格安な旅行だけだ。
ローマからベルリンにやってきた。イタリアとドイツはある意味対照的でそれぞれに良さがある。どちらの街でも空港からタクシーに乗ったが、ローマでは携帯片手で乱暴な運転をしていた。時々他のドライバーを怒鳴っていた。ベルリンに着くと、タクシーの運転手も紳士で、英語もうまかった。街について説明もしてくれる。ベルリンの街も緑がいっぱいでとても美しい。
最初に旧東ベルリン地区を散策する。ウンター・デン・リンデンやテレビ塔を見る。さらにこのあたりを歩く。ベルリン大聖堂も見える。博物館島といわれる地域にたどり着いた。
ドイツ統一まで、当然のことながら、このあたりの美術館は東ドイツの管理下に置かれていた。シュプレー川の中州に5つの美術館が建てられている。まさに世界の芸術作品が集まっている場所だ。全部見るわけにもいかないので、一部の館をさっと見る。
ベルリンのホテルで朝食…2001年夏 ― 2012/12/11 22:26
日本ハム株式会社編著
『ハム・ソーセージ物語』
1987年、東洋経済新報社
ドイツといえば、ビールとソーセージを連想する人が多い。たしかにドイツ人はよくソーセージを食べる。三度の食事には必ずといっていいほどソーセージが出る。ドイツ人からソーセージを奪ってしまったら、いったいどうなってしまうのだろうかと、人ごとながら心配になるほどだ。それほど彼らの日常生活にすっかり溶け込んでしまっている。
Hotel Berlin。ベルリンではここに泊まった。大きなホテル。4つ星クラスのホテル。めちゃくちゃ高級というわけでもないが、そこそこのホテル。場所も便利なところにある。朝食は野菜や果物を中心にとる。朝からハムやソーセージや卵をたくさんとると、お腹がいっぱいになって、昼も夜も食事が喉を通らなくなる。
ローマを観光してからベルリンに入ったので、移動疲れもある。あまり無理をせずに、街を散歩くことにした。欧州の夏は雨も少ないので、観光には最適だ。日本のような蒸し暑さもない。朝は特に爽快で、気分がいい。
『ハム・ソーセージ物語』
1987年、東洋経済新報社
ドイツといえば、ビールとソーセージを連想する人が多い。たしかにドイツ人はよくソーセージを食べる。三度の食事には必ずといっていいほどソーセージが出る。ドイツ人からソーセージを奪ってしまったら、いったいどうなってしまうのだろうかと、人ごとながら心配になるほどだ。それほど彼らの日常生活にすっかり溶け込んでしまっている。
Hotel Berlin。ベルリンではここに泊まった。大きなホテル。4つ星クラスのホテル。めちゃくちゃ高級というわけでもないが、そこそこのホテル。場所も便利なところにある。朝食は野菜や果物を中心にとる。朝からハムやソーセージや卵をたくさんとると、お腹がいっぱいになって、昼も夜も食事が喉を通らなくなる。
ローマを観光してからベルリンに入ったので、移動疲れもある。あまり無理をせずに、街を散歩くことにした。欧州の夏は雨も少ないので、観光には最適だ。日本のような蒸し暑さもない。朝は特に爽快で、気分がいい。
ベルリンでソーセージ(その2)…2001年夏 ― 2012/12/07 22:22
ベルリンでソーセージ(その1)…2001年夏 ― 2012/12/04 23:09
日本ハム株式会社編著
『ハム・ソーセージ物語』
1987年、東洋経済新報社
伝説によれば、今から3500年前、中近東のバビロニア地方でソーセージらしきものが食べられていたという。エジプトにも同様の伝承がある。
ベルリンの街を歩く。ローマから移動したので、また印象が新鮮だ。タクシーの運転手も上品で、これもローマと対象的だった。ベルリンの街はゆったりとして、緑も多い。東西ベルリンが統合して、新しいドイツの首都となった。高校時代にラジオでドイツ語講座を聞いていたが、西ベルリンが舞台だった。ドイツ人は簡素な食事を好むが、立ち食いのソーセージもなかなかいける。屋台でソーセージを買って、つまむ。パンもついていて、ちょっとしたランチには十分だ。
『ハム・ソーセージ物語』
1987年、東洋経済新報社
伝説によれば、今から3500年前、中近東のバビロニア地方でソーセージらしきものが食べられていたという。エジプトにも同様の伝承がある。
ベルリンの街を歩く。ローマから移動したので、また印象が新鮮だ。タクシーの運転手も上品で、これもローマと対象的だった。ベルリンの街はゆったりとして、緑も多い。東西ベルリンが統合して、新しいドイツの首都となった。高校時代にラジオでドイツ語講座を聞いていたが、西ベルリンが舞台だった。ドイツ人は簡素な食事を好むが、立ち食いのソーセージもなかなかいける。屋台でソーセージを買って、つまむ。パンもついていて、ちょっとしたランチには十分だ。
サンスーシ宮殿(その2)…2001年夏 ― 2012/03/31 00:12
カント著、樫山欽四郎/坂田徳男/土岐邦夫訳
『世界の大思想11 カント(下) 実践理性批判/判断力批判/永遠の平和のために』
河出書房、1965年
「永遠の平和のために」
君主が哲学すること、あるいは哲学者が君主となることは期待されない。また望ましいことでもない。権力の所持は理性の自由な判断を不可避的に害するからである。
『世界の大思想11 カント(下) 実践理性批判/判断力批判/永遠の平和のために』
河出書房、1965年
「永遠の平和のために」
君主が哲学すること、あるいは哲学者が君主となることは期待されない。また望ましいことでもない。権力の所持は理性の自由な判断を不可避的に害するからである。
閑静なポツダムの街に立つ豪華な宮殿。このサンスーシ宮殿はプロイセン王国時代、18世紀の中ごろにフリードリヒ大王の命令により建設されたものである。ロココ建築の宮殿であり、荘厳なつくりが目をみはる。フリードリヒ大王は単なる政治指導者ではなく、文化、芸術、哲学に造詣が深い啓蒙専制君主だった。フリードリヒ大王の卓越した指導力はプロイセンを強国に育て上げた。
もともとドイツは小国が分立し、まとまりのない地域だった。ドイツはカトリックとプロテスタントが入り混じった地域でもあり、宗教的にも入り乱れていた。サンスーシ宮殿は、この知性に溢れた大王が滞在するにふさわしい宮殿となっている。世界史の授業でも出てくる名前なので、親しみをもって接することができる。
もともとドイツは小国が分立し、まとまりのない地域だった。ドイツはカトリックとプロテスタントが入り混じった地域でもあり、宗教的にも入り乱れていた。サンスーシ宮殿は、この知性に溢れた大王が滞在するにふさわしい宮殿となっている。世界史の授業でも出てくる名前なので、親しみをもって接することができる。
サンスーシ宮殿(その1)…2001年夏 ― 2012/03/27 02:10
カント著、樫山欽四郎/坂田徳男/土岐邦夫訳
『世界の大思想11 カント(下) 実践理性批判/判断力批判/永遠の平和のために』
河出書房、1965年
「判断力批判」
大王フリートリヒがその一つの詩のなかで、「呟かず、悔いをせずに生を辞そう、われらの諸々の善行に充たされた世界を後に。一日の行程を終えた太陽は、なお柔らかき光を空一面に拡げる。空へ投ぐるそのさいごの光は世の幸わせを思ういまわの吐息である」と述べておられる場合に、大王はその生涯の終わりにあたってもなお、構想力が(空晴れた夕暮によってその諸々の楽しさが心のうちによび起こされる、暮し送られた楽しい夏の一日を回想するときに)かの表象にともなわせるところの、そしてどのような言葉も見出されない夥しい感覚と副次的表象を喚起するところの、〔象徴的〕属性によって、大王の抱いておられる世界公民的意向の理性理念を生気づけておられるのである。
『世界の大思想11 カント(下) 実践理性批判/判断力批判/永遠の平和のために』
河出書房、1965年
「判断力批判」
大王フリートリヒがその一つの詩のなかで、「呟かず、悔いをせずに生を辞そう、われらの諸々の善行に充たされた世界を後に。一日の行程を終えた太陽は、なお柔らかき光を空一面に拡げる。空へ投ぐるそのさいごの光は世の幸わせを思ういまわの吐息である」と述べておられる場合に、大王はその生涯の終わりにあたってもなお、構想力が(空晴れた夕暮によってその諸々の楽しさが心のうちによび起こされる、暮し送られた楽しい夏の一日を回想するときに)かの表象にともなわせるところの、そしてどのような言葉も見出されない夥しい感覚と副次的表象を喚起するところの、〔象徴的〕属性によって、大王の抱いておられる世界公民的意向の理性理念を生気づけておられるのである。
ベルリンから近い都市ポツダム。ポツダムといえばポツダム宣言という言葉がすぐに思い出される。日本の敗戦と関わっているだけに、感慨深くなる。ここにサンスーシ宮殿がある。ポツダムは東ドイツの都市だったので、旧共産圏によく見られた路面電車が走っていた。ソ連を訪問した際も、こうしたトラムはよく見かけた。
旧東ドイツの面影を残しつつも、美しい街並みも保っているという面白い都市である。イタリアのローマからベルリン入りし、再開発の真っ最中であるベルリンの喧騒から逃れて、小都市ポツダムに来るとほっとした気分になる。大都市であるベルリンも緑が多いが、このポツダムも水や緑に恵まれている。駅から宮殿に向かって歩いていくと、こうした自然に接することができる。
旧東ドイツの面影を残しつつも、美しい街並みも保っているという面白い都市である。イタリアのローマからベルリン入りし、再開発の真っ最中であるベルリンの喧騒から逃れて、小都市ポツダムに来るとほっとした気分になる。大都市であるベルリンも緑が多いが、このポツダムも水や緑に恵まれている。駅から宮殿に向かって歩いていくと、こうした自然に接することができる。
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