エカテリーナ宮殿(その2)…1980年夏 ― 2012/03/09 20:19
井上靖著
『おろしや国酔夢譚』
1974年、文春文庫
五月八日の朝、光太夫は馬車でツァールスコエ・セロに向かった。ペテルブルグより二十二露里の地点にあるが、八間余りの平坦な道がまっすぐに平原の中を走っている。
『おろしや国酔夢譚』
1974年、文春文庫
五月八日の朝、光太夫は馬車でツァールスコエ・セロに向かった。ペテルブルグより二十二露里の地点にあるが、八間余りの平坦な道がまっすぐに平原の中を走っている。
この宮殿の名前は、ピョートル大帝の妻でもあり、その皇位を継承したエカテリーナ1世から来ている。エカ テリーナが1世が建築させたもの。本格的に豪華な宮殿となったのがエカテリーナ2世の時代。啓蒙専制君主としても有名なエカテリーナ2世の時代はポーランド分割などによって領土を拡大させ、ロシアの影響力がますます大きくなった。
ただでさえ大きなロシアの領土が拡大していったのだから、エカテリーナ2世がますます強力な君主になったことは言うまでもない。周囲の庭園や池も広大で、美しい。ロシアの自然と西欧の技術を駆使して建築した宮殿とが見事にマッチしている。
ただでさえ大きなロシアの領土が拡大していったのだから、エカテリーナ2世がますます強力な君主になったことは言うまでもない。周囲の庭園や池も広大で、美しい。ロシアの自然と西欧の技術を駆使して建築した宮殿とが見事にマッチしている。
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