三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その20)2017/10/11 08:50

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

戯葉の声が、急に熱と力を持った。


   これが成都武侯祠の武侯祠への入口。成都武侯祠は劉備や諸葛孔明を祀った全体の施設のことで、諸葛亮を祀ったところが武侯祠と呼ばれている。それは中国各地にあるようだ。ただ成都のものが一番有名らしい。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その21)2017/10/12 08:45

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

   確かに曹操を殴ってやりたいという一念で今までやってきた。


   諸葛亮についての説明文。諸葛孔明という名前でもよく知られている。劉備につかえた天才参謀である。孔明は質素な晴耕雨読の生活を送っていたが、劉備が三顧の礼で孔明を迎えたという話はあまりにも有名だ。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その22)2017/10/13 08:41

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

   司徒府から戻ると、劉備はすぐに出立の支度を命じた。


   そして諸葛亮の塑像。劉備は諸葛孔明がいかに優秀かよく知っていた。本来なら、劉備の方が遥かに身分が高いのだが、劉備の方から出向いて、会えるまで何度も待ちながら、会いに行った。孔明の故郷は河南省の南陽というところで、そちらの諸葛孔明を祀った武侯祠もかなり賑わっているようだ。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その23)2017/10/14 10:05

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

県城を訪れると、ちょうど隊商が逗留していた。


   諸葛瞻についての説明文。この人は諸葛亮の息子である。小さいころから優秀だったようで、文化にもかなり通じていた。父親があまりにも大物だったため、そんなに目立った働きは見られなかったようだ。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その24)2017/10/15 09:01

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

劉備の行方はなかなか掴めなかった。


   そして諸葛瞻の塑像。魏に攻められて、出撃したが苦戦して、呉の援軍がないままに戦い続けて、戦死したようである。父親が偉かったので、周囲の期待も大きすぎて、苦労したのかもしれない。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その25)2017/10/16 08:49

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

一喝され、周倉は数歩飛び退いて平伏した。


   諸葛尚についての説明文。前回まで紹介した、諸葛瞻の息子である。ということは諸葛孔明の孫になる。諸葛という文字がついている人がけっこういて、なかなか家系図は複雑になっている。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その26)2017/10/17 08:58

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

   関羽と張飛はそっぽを向き、劉備や他の家臣のように熱心に聞こうとしなかった。


   そして諸葛尚の塑像。諸葛瞻のところでも紹介したが、その父親と一緒に諸葛尚は戦死している。魏の鄧艾は親子を殺害して、成都に進攻し、蜀を滅ぼしている。魏、呉、蜀といわれても、今一つその違いがよく分からないが。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その27)2017/10/18 08:45

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

   戯葉に抱いた情愛の深さに比べ、他の女に抱く感情はどうにも浅薄に思える。


   これはカエルの石の彫刻。歴史的なものという感じはしない。鳥獣戯画ではカエルが出てくる絵がある。このように日本ではカエルは親しまれている存在だが、中国ではどうなのだろうか。これは日本での中華料理店でのことだが、カエルのから揚げを食べたことがある。他の人が全然食べなかったので、一人でたくさん食べなければならかった。


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その28)2017/10/19 08:47

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

   まとめられるだけの兵をまとめると、関羽は馬を駆った。


   これもカエルと同じように、新しくつくられた石の彫刻だろう。ネズミだと思う。丸々としたネズミでかわいらしい。本物のネズミは気持ち悪いが、ミッキーマウスにしてもネズミのキャラクターはかわいいものが多い


三国志の舞台・成都武侯祠を歩く…2015年春(その29)2017/10/20 08:46

吉川永青著
『戯史三國志 我が土は何を育む』
講談社、2012年

   蜀が北伐軍を起こすに当たって、最大の泣き所はやはり補給であった。


   成都武侯祠の中にこんな池がある。なかなかいい雰囲気だ。歴史遺産ということに加え、気軽に来れる公園のような存在でもある。日本によくある池と同じように鯉が泳いでいる。曇りがちの天気で、水面も暗くなっている。