サハリン州立美術館(その19)…2012年夏2013/12/03 21:18

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年
  
   ギリヤーク人のほかにも北部サハリンには、ツングース族のオーロキ人、あるいはオーロチ人というのがわずかながら、住んでいる。しかし植民地では彼らの噂をほとんど耳にしないし、彼らの分布している領域には、まだロシア人の村がないため、ここでは名前をあげるだけにとどめておくことにする。


 
   これらも生活に関する用品。糸巻用の道具もある。ロシア民謡の歌詞にも出てくる。それにしてもロシア民謡『一週間』は悠長な歌だ。日本の唱歌『村の鍛冶屋』なんかとは対照的だ。
   ロシアでは、そして極東では特に時間がゆっくり流れている。ユジノサハリンスクは大きなレーニン像も残り、共産主義者通り、カール・マルクス通りなどソ連時代の名前がそのまま残っている。



サハリン州郷土博物館(その1)…2012年夏2013/12/05 23:27

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   古い建物でも、勤労者の古顔でも、コルサコフの方が北部より多いが、あるいはこれは、南部のこの地帯が北部の両管区よりも、定住した静かな生活に向いていることを意味するのかもしれない。



   ユジノサハリンスクでは一番目立つ建物。観光の主要な見どころでもある。街が碁盤の目に整備されているので、サハリン州郷土史博物館もすぐ見つかる。もともと樺太庁博物館として運営されていた。日本的だが、他の文化的な色彩も入ったユニークな建物だ。入口にいる狛犬も歓迎してくれる。夏には涼しげな噴水もありがたい。




サハリン州郷土博物館(その2)…2012年夏2013/12/07 14:52

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   南部では冬のさなかに時折り雪解け日和があるが、こんなことは、ドゥーエやルイコフスコエのあたりでは、ついぞ見かけぬ現象である。河の氷が融けるのも早いし、太陽が雲間からさしのぞくのも、こちらの方がひんぱんである。



   これはブロニスワフ・ピウスツキの像。ポーランドの社会活動家、文化人類学者で、サハリンに流刑となったが、アイヌ研究などで大きな業績を残している。弟のユゼフ・ピウスツキは、第2次ポーランド共和国の初代国家元首をつとめたあのピウスツキ元帥。
 ブロニスワフ・ピウスツキは日本での滞在経験もあり、樺太で結婚し、その子孫は今でも日本で暮らしているとのこと。今年の10月、北海道のアイヌ民族博物館において、ブロニスワフ・ピウスツキの胸像除幕式が行われ、今は日本人となっているピウスツキの孫も参加したのニュースが報じられていた。

サハリン州郷土博物館(その3)…2012年夏2013/12/10 20:03

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   こういう場所はたいてい寒風から守られており、近隣の山は沼沢地の植物があきれるほど貧弱で、極地とあまり変わらないのに対し、ここエラーニでは、繁茂した林や、人間の背丈の倍以上もある草にお目にかかる。



   アンモナイトをはじめとする化石もある。3つめは化石の入った材木である。5000年前のものらしい。サハリンは石油の宝庫であるから、化石とか古生物もいろいろあっておかしくない。サハリンは恐竜の化石もよく見つかっているようで、なかなか研究対象としても面白いようだ。



サハリン州郷土博物館(その4)…2012年夏2013/12/12 20:05

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   さらに八キロあまり行くと、日本人やアイヌ人たちの間でシヤンチャとよばれる、以前日本のの漁業倉庫があったところに、一八八四年に作られたガルキノ・ヴラースコエ村、別名シヤンツイ村がある。



   新石器時代の文化について紹介されているコーナーである。かなり古い時代の矢じり、土器になるのだろう。縄文という単語も見られる。弓と矢もある。ここで示されている絵では、男女共同で仕事をしていることが理解できる。
   縄文時代は今よりも気候が温暖で、三内丸山遺跡のあたりも過ごしやすかったと聞く。サハリンでも、今よりも温暖だったのだろうか。犬もいるが、家畜だろうかペットだろうか。


サハリン州郷土博物館(その5)…2012年夏2013/12/14 08:12

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   アイヌはジプシーのように色が浅黒い。顎ひげは幅広く密生しており、口ひげをたくわえ、真黒な毛髪は濃く、剛い。眼は黒っぽく、表情豊かで、柔和だ。



   この2つの写真は展示物ではなく、パネルだけだ。先に紹介したものに比べると、もっと新しい時代になるようだ。最初のパネルでは死んだ人が埋葬されている。花も一緒に入れられている。次のパネルは地図が中心だ。火を使って調理が行われている図もある。


サハリン州郷土博物館(その6)…2012年夏2013/12/17 20:19

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   日本人たちは、根が大好きなので、勲章にも大そう感動しきっていた。スズキ氏は喜びを包みきれず、子供がオモチャを見るように、眼をかがやかせて勲章をあらゆる角度から眺めまわしていた。



   多くの貝殻がある写真。貝塚といえるものだろうか。貝塚とは当時のゴミ捨て場だろうか。日本全国にも多くの貝塚があり、必ずしも珍しいものではない。しかし、貝殻というものは長い時間経っても、ぼろぼろにならない不思議なものだ。2枚目は人骨。上に装飾品があるが、こうしたものを重宝する精神は現代でも変わらない。


サハリン州郷土博物館(その7)…2012年夏2013/12/19 19:45

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年
  
   ロシア風の小屋が建てられないマンザ人とコーカサス人は、大抵一年目に逃げ出す。サハリンの戸主のほとんど半数は家をもっていないが、これは第一に、移住囚が最初に家をもつときに出あう困難を理由とすべきであるように思われる。



   サンタン交易といわれる経済取引が中心に紹介されている。江戸時代にサンタン人とアイヌとの間で、主としてサハリンが中継点となって交易が進んだらしい。貿易は活発になり、アイヌも恩恵を得ている。豪華絢爛な衣装をまとった北海道のアイヌ人の絵も展示されている。この絵は、松前藩の家老でもあった画家の蠣崎波響(かきざきはきょう)によるもの。2枚目の写真は、民族の居住地ごとに色分けしたものである。


サハリン州郷土博物館(その8)…2012年夏2013/12/21 07:47

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   どの村にも、必ず移住囚と農民の戸主から選ばれ、移住監督によって承認される村長がいる。村長には、ふつう、まじめで、聡明で、読み書きのできる人たちがなる。



    1枚目の写真にある木製ものは船に見えた。下に櫓のようなものがあるので。しかし、右上の犬のいる写真からすると、橇のようだ。左側の上は銛で魚をとっているのだろうか。
   2枚目の写真はアイヌの生活に関するものだ。アイヌ集落(コタン)での様子。北海道を旅行して、アイヌ文化に接する機会は多いから、深くはないにしても、普通の日本人もアイヌ文化にはそれなりのイメージは持っている。茶碗などの食器も展示されている。


サハリン州郷土博物館(その9)…2012年夏2013/12/24 20:50

チェーホフ著、原 卓也訳
『サハリン島』
中央公論社、2009年

   島には女性向きの苦役はない。なるほど、女たちは時おり役所の床を洗い、菜園で働き、袋を縫ったりなどするが、幸い強制労働という意味では、不断の一定した仕事は何もしないし、将来もおそらくないであろう。



   1枚目と2枚目はアイヌ文化に関するもの。アイヌの衣装については、詳しくはないが、親しみが持てる。3枚目の写真はアイヌではなくて、ニヴヒ、つまりギリヤークに関するもの。衣装もアイヌのものとは違う。どちらかというともっと雪深い地域に住んでいるエスキモーのものに近い感じもする。