横浜--ナホトカ間の航路(その5)・・・・1980年夏2014/10/14 20:23

五木 寛之著
『ナホトカ青春航路 (Essay books―流されゆく日々)』
PHP研究所、1984年

  その1950年代から60年代にかけての、ぼくらの<第一次海外青春旅行>というのは、とてもお金がなくて、貧乏で、苦しい旅行だったんですけれども、何かものすごい夢があったような気がしますね。



  船は港へと近づく。もう少し街がはっきりと見えてくる。工業地域のようなところがはっきり見えてきた。飛行機と違って、船は速度が遅いから、接岸にも時間がかかる。なかなかじれったいものがあるが。青函連絡船は何度か乗ったが、だいたい4時間くらいの行程だ。津軽海峡で揺れることが多かったが、吐くような船酔いになったことはない。
   同じくらいの大きさの船で横浜とナホトカを航行することはけっこうきつい。台風が近づいた時の船の揺れはすさまじかった。ジェルジンスキー号が太平洋を航行している時、その東側を台風が併走していたのだ。さすがに着く頃には船酔いも消えていた。