ベルリンの壁(その2)…2001年夏2010/08/31 19:49

クレメンス・マイヤー著、杵渕博樹訳
『夜と灯りと』
2010年、新潮クレスト・ブックス

「南米を待つ」
  おじさんはどうしても西へ行きたかったんだな。その半年後に壁が壊れたけど、二度と戻ってこなかったし、何をやっているのか誰も知らなかった。一度も手紙 をよこさなかったし、だいたい生きているのかどうかさえおれは知らなかった。それから手紙をもらって、それで知ったんだよ。ルーディおじさんは、この変人 は、ハンブルクでバーをやって繁盛させてたんだ。



 これは西ベルリンに脱出しようとした人たちの写真や動画。最初の頃は、多少の怪我くらいを覚悟すれば脱出もしやすかったようだが、だんだんと東側の警戒が厳しくなって、命がけの脱出劇となった。脱出できずに、射殺された人もいる。


 ベルリンの壁に使われていたワイヤー。そういえば、先日(本年2010年)、あるバーに行ったら、ベルリンの壁のかけらがおいてあった。実は、日本でもベルリンの壁のかけらを持っている人は少なくない。壁崩壊後、お土産として大量に出回った。壁そのものが全部で155kmも長さがあったため、大量にコンクリートが使われており、崩壊した後に出たかけらも相当な量が出たのだろう。
  ほとんどの人は東ドイツから西ドイツへ、東ベルリンから西ベルリンへと逃れた。しかし、少数派とはいえ、自発的に東ドイツに定住した人もいた。たとえば、劇作家のベルトルト・ブレヒト、アメリカの原子爆弾の情報をソ連に流したスパイのクラウス・フックスなどである。また、ドイツのメルケル首相の父親のように、東ドイツの担当の牧師として移住したものもいる。