ニューヨークのクルーズ…1997年秋(その4)2014/11/01 06:42

佐野洋子著
『そうはいかない』
小学舘、2010年

〈ニューヨーク・ニューヨーク〉
   この間息子が言っていた。
「母さん、日本人って外国に行くと馬鹿にされてると思わない?」
「思う」



   この時も酔い止めの薬を飲んでいた。飲むとすぐに、睡魔がやってくるという効果がある。ボルチモア船上視察の時も飲んだが、その後でメモを取るのがつらかった。眠くて眠くて仕方がなかった。
   このクルーズは仕事から離れたプライベートという位置づけだったので、気兼ねなく酔い止めの薬を飲むことができた。テーブルに座ったまま、眠ってしまった。その調査の仕事の疲れがあったことも主な原因だ。翌朝起きると、船の揺れが猛烈に襲ってきた。


サンディエゴのクルーズ…1983年夏(その1)2014/11/04 21:26

アラン・ラッセル著、匝瑳玲子訳
『傷痕』
ハヤカワ文庫、2004年

   ポニー・ギルが殺されたのは、彼女が経営する画廊〈サンディ・エゴ・エクスプレッションズ〉でのことだった。



   カリフォルニア州のクレアモントを拠点に研修に参加していた時、サンディエゴにも連れて行ってもらった。動物園にも行ったし、港の中のクルーズにも行った。実はこの数年前にサンディエゴにホームステイした友人がいて、この街は素晴らしいところだとさんざん聞かされていた。絵葉書も来たと思うし、とにかく何度も何度も話を聞かされた。
   サンディエゴは風光明媚な街。ロスアンジェルスのかげに隠れてちょっと目立たないところもあるが、観光するにもいいところだ。そういえば、この研修の時にはロスアンジェルスのダウンタウンに行くという旅程はなかった。ドジャーズスタジアム、ディズニーワールドは行ったが、それはロスの中心街ではない。

サンディエゴのクルーズ…1983年夏(その2)2014/11/06 21:02

アラン・ラッセル著、匝瑳玲子訳
『傷痕』
ハヤカワ文庫、2004年

   気分は上々だ、と彼女は思った。オーシャン・ビーチ〈サンディエゴ市街の北西、太平洋沿岸に位置するマリン・リゾート〉の〉死人クラブ〉に行くのにぴったりの気分だ。



   サンディエゴでは港の中のクルーズに出かけた。夏の真っ盛りであったが、蒸し暑さとは無縁の快適なクルーズだった。もともとカリフォルニアの夏の天気は比較的過ごしやすい。クレアモントでも日陰や夜間は涼しかった。真昼の太陽の下はそれなりに暑かったが。
   家族連れをはじめいろんな人たちがクルーズを楽しんでいる。それほど大きな船ではないこともあって、きびきびとして動きを見せてくれる。サンディエゴはクレアモントよりは大きく、ロスよりはこじんまりしているので、ちょっとした1日観光などには向いているのだろう。


サンディエゴのクルーズ…1983年夏(その3)2014/11/08 07:33

アラン・ラッセル著、匝瑳玲子訳
『傷痕』
ハヤカワ文庫、2004年

   〈クロウチズ〉はバーも併設されているダウンタウンのレストランで、ここ二十年近く人気を集めていた。南カリフォルニア時間で十年といえば、もう立派な老舗だ。



   サンディエゴは極端に大きな街ではないから、クルーズ船に乗っていると、だいたい街の様子がわかる。甲板の一番後ろにいると、景色がよく見える。真夏ではあるが、洋上を吹く風がとても涼しく感じられる。半ズボンをはじめ涼しい格好をしてきたので、余計そう思われた。
   当然のことながら、アメリカの旗、星条旗がなびいていた。クレアモントで午前中に有識者から講義を受けて、午後はゆっくりするというパターンが多かった。このように丸一日かけて、観光に出かけるという日程もあった。クレアモント研究所というシンクタンクがこのセミナーを運営していた。

サンディエゴのクルーズ…1983年夏(その4)2014/11/11 21:49

アラン・ラッセル著、匝瑳玲子訳
『傷痕』
ハヤカワ文庫、2004年

   当時もサンディエゴ空港新設の噂があり、これもちっとも変わっていない。政治家たちは七〇年代、国境地域の下水処理を改善する必要はないと強硬に反対していたが、九〇年代になっても相変わらずその問題で議論を繰り広げていた。



   以前、このブログでサンディエゴ港に停泊する軍艦を紹介した。当然、写真もアップしたので既に見てくれている人もいるだろうか。サンディエゴは海軍の街だから当然だろう。こうしたクルーズ船をはじめいろんな船舶が行き来しているのは趣があって良い。
   サンディエゴはメキシコとの国境の街でもある。そちらにも行って見たい気もしたが、そこまでの時間もなかった。こうしたクルーズ船での航行も含めて、楽しいサンディエゴの観光はあっという間に過ぎた。子供連れの家族の姿も見られた。



香港フェリー…1992年夏、1997年夏2014/11/13 21:35

邱永漢著、南條範夫著、戸板康二著、三好徹著、有明夏夫著、川口則弘編
『消えた直木賞 男たちの足音編』
メディアファクトリー、2005年

〈邱永漢/香港〉
「うむ。昨日、国から出て来たんだ。どうも香港へ出て来さえすれば、どうにかなると思う者が多くて困るよ」
 老李は広東語で答えたが、きょとんとしている春木をふりかえると、今度は台湾語で言った。



   香港も何度か行っている。最初は1992年、まだ中国に返還される前の頃だ。学生時代、ロシア、アメリカと訪問したのだが、社会人になってから、なかなか生活していくのが精いっぱいで、外国に行かなかった時期が8年近くもあった。そういうような状況の中、久しぶりに訪れた外国が香港だった。
   香港は狭い地域なので、歩いても十分の移動ができる。ただ、湾を横断するには地下鉄かフェリーになる。短い距離だが、香港のフェリーからの景観は素晴らしい。夏の香港はとても暑い。それだけに海風を浴びると気持ちがいい。


 それから5年後も香港を訪問する機会があった。イギリスに行く途中で、無理に行く必要もなかったのだが、ついつい来てしまった。やはりフェリーにも乗った。この時は中国に返還された直後だった。



香港からフェリーでマカオへ…1992年夏2014/11/15 07:40

新田次郎著
『マカオ幻想』
新潮社、1980年

「海の色が赤いのは珠江が中国大陸の赤い土を運んで来るからです」
   彼女はほとんど口を休めることなく話していた。マカオにはじめての旅行者としての彼に大いに尽そうとしている気持ちが嬉しかった。



   最初に香港に行った時に、ついでだからとマカオにまで行った。フェリーの券を買って、移動する。香港を出国して、マカオに入国。帰りはマカオから出国、香港に入国。これだけでパスポートのスタンプがにぎやかになる。
   残念ながらフェリーの写真は撮っていなかった。マカオも今のようにきれいな観光地ではなかった。ものすごい暑さであまり頭が働かず、行きたいところにたどり着けなかった。

ザンベジ河・チョベ河ボートクルーズ…2004年夏(現地は冬)(その1)2014/11/18 22:05

由良君美編集
『現代イギリス幻想小説』
白水社 、1971年

<セラフとザンベジ河>(ミュアリアル・スパーク)
 アフリカに住むヨーロッパ人は、はじめての相手に口をきくときには、無意識のうちにくずれたカフィル語を使ってしまうものです。
「ハンパ!」とクラメールは叫びました。帰れ、という意味です。
(井出弘之訳)



   アフリカ南部を旅した。ジンバブエ、ボツワナ、南アフリカの三か国を訪問した。だいたいこのあたりは定番のコースがある。ビクトリアの滝を見たり、チョベ国立公園でサファリに参加したりする。このあたりは水が豊かな地域である。
   アフリカというと砂漠地帯のイメージも強いが、地域によって全然違うことがわかる。世界の三大瀑布の一つであるビクトリアの滝はその水量からしても相当な迫力がある。ザンベジ河とチョベ河は密接に結びついている。チョベ河はザンベジ河の支流で上流の方にある。



ザンベジ河・チョベ河ボートクルーズ…2004年夏(現地は冬)(その2)2014/11/20 15:49

由良君美編集
『現代イギリス幻想小説』
白水社 、1971年

<セラフとザンベジ河>(ミュアリアル・スパーク)
   夏の稲妻の無言の閃光に照らしだされたセラフが、ザンベジ河の水に乗って、ワニのような岩、岩のようなワニのあいだをぬって遠ざかってゆくのを、わたしたちはじっと見守っていました。
(井出弘之訳)


   シンガポール、ヨハネスブルグを経由して、ビクトリアの滝に到着してザンベジ河のクルーズに出かけた。ビクトリアの滝は翌日に行くことになっていた。それほど大きな船ではない。ボートによるクルーズである。南半球なので、日本が夏だからここは冬ということになる。日本の空港から32時間もかけてビクトリア滝の空港に着いただけに、相当疲れていた。ジンバブエの入国も時間がかかって、面倒だった。
   しかし、水量の豊かな河を航行するとちょっと元気が出てきた。初めて訪問したアフリカの地。知り合いが青年海外協力隊でウガンダに赴任しており、そこに行きたかったのだが、安全な地域ではないので来ない方がいいと言われた。せっかくなので、自分でアフリカのどこかに行こうと思い立った。


ザンベジ河・チョベ河ボートクルーズ…2004年夏(現地は冬)(その3)2014/11/22 02:54

有島武郎著
『有島武郎全集 第1卷』
筑摩書房、1980年

〈リビングストン傳〉
   若夫れリビングストンが、其愛妻とザムベジー河口のシパングワに死別せる時。ウジゝの僻落にスタンレーと別れて、白人と最後の決別をなせし時。



   ザンベジ河を航行したのは夕方くらいだった。だからだんだん日も暮れてきて、夕陽が沈むシーンを見ることもできた。既にこのブログで掲載済みだが、ザンベジ河では象を見ることもできた。集団でいたのかどうか分からなかったが、一頭の象が見えただけだった。その後のサファリではたっぷり象を見ることになるだが。
   アフリカ南部は英語がよく通じるので、旅行もしやすい。訛りの少ないベーシックな英語だから、とても聴き取りやすい。ガイドの方も英語もわかりやすい。ザンベジ河のボートクルーズを満喫した後は現地のレストランで夕食をとった。