ロングビーチの陽光を浴びて…1983年夏2011/03/01 20:49

W・リンク/ R・レビンソン、小鷹信光著
『刑事コロンボ    殺人依頼』
1999年、二見書房

   アランは101号線を西に向かって突っ走り、山越えのマリブー・キャニオン・ロードで海岸沿いの道に出ると、ドン・イーストレイク邸にほど近いプラザ内にあるシーフード・レストランに入った。遅い昼食を注文し、料理が運ばれてくる前に、ドンに電話をかける。
「やあ、アラン。遅いじゃないか」
 屈託のないドンの声が響いてくる。
「サンタモニカで二つ三つ物件を下見していました。いま、プラザの〈海賊の巣〉で食事をしています。三十分後に迎えにきていただけませんか?足がないもんで……」



 南カリフォルニアの海岸線は名も知れた魅力的なビーチばかりが存在する。マリブ、サンタモニカ……と数えるときりがない。ロングビーチもその一つ。ロサンゼルスを南に進んでいくと、ロングビーチという港町に出る。クレアモントのプールではよく泳いでいたが、海に連れて行ってもらうとのことで楽しみにしていた。実際、浜辺に出てみると、ものすごい高い波。


  一緒にセミナーに参加していたオーストラリア、ニュージランドの人たちは波を乗り越えて、沖へ出て行く。それにつられて、けっこう遠くへ来てしまったが、 これは危ないと思い引き返す。彼らは高い波には慣れている。


 海外の海で気をつけるべきことの一つは、高い波で泳ぐことに不慣れな日本人は無理をしないことだ。外国人が沖へ出ているからといって、真似をしないこと。浅瀬で陸地と平行にのんびり泳いで過ごす。カリフォルニアの太陽を浴びながら、至福の時間を過ごす。



クヒオビーチ(その1)…1996年夏2011/03/04 19:56

藤原正彦著
『若き数学者のアメリカ』
1981年、新潮文庫

 故郷の信州での夕焼けは空一面がピンクに色づいたものだが、ここワイキキではオレンジ色だ。海辺に沿って並ぶシュロの樹々がその長い影を白砂に落している。この壮大さ、華麗さはこの世のものではない、と私はもう夢心地だった。なぜそのような美しい景色がそこに存在し、なぜ、私がその中にいるのか、というようなことを砂浜に坐ったまま、しきりに考えていた。

 

 はじめてホノルルにやってきた。夏だし、ビーチに行くのが楽しみだった。ホテルはワイキキのすぐ近く。人が多いワイキキを避け、隣のクヒオビーチへ。


 こっちはのんびりしているし、遠浅で安心して泳げるようだ。水中は勿論、上から見ても魚の泳ぐ姿がはっきり見える。


  沖縄に行った時、オイルも塗らずに日光に当たったら、1年間日焼けのあとがとれなかった。しかも赤く焼けて、日中から酔っ払っているようにみられた。その 反省から、たっぷりサンオイルを塗る。


  ココナッツの甘い香りが漂う。その香りに誘われて、虫もけっこうまとわりつく。オイルの容器が砂浜に置かれている構図が気に入って、思わずシャッターを押した。


クヒオビーチ(その2)…1996年夏2011/03/08 21:18

渡辺喜恵子著
『タンタラスの虹』
新潮社、1975年

  ハナウマ湾の波は穏やかだった。夕べの渚に人影もなく、潮は引き始めている。濡れた砂浜を美穂はゆっくりゆっくり歩いて行った。波が置き去りにした小さな巻貝があっちこっちに散らばっている。美穂は一つ一つひろいながら歩いた。生きている貝はぶつぶつと文句を言い、死んだ貝殻は何も言わない。


 
 アメリカ本土からホノルルにやってきた。日本に近くなったせいもあって、緊張感が半減してしまう。でも、ハワイもなかなか素晴らしい場所だ。海水浴は前日までに十分楽しんだ。 


 日本に帰る朝、見納めにビーチを散歩する。人は少なく閑散としている。静かな波が押し寄せる。朝の海はまた印象が異なる。


 魚が泳いでいるのが見える。カラフルな熱帯魚ではなく、地味な魚だ。実際、海の中に入ると色鮮やかな魚が見られるのだが。



オアフ島の荒れたビーチ…2007年秋~冬2011/03/13 19:36

渡辺喜恵子著
『タンタラスの虹』
新潮社、1975年

  川で泳げた者が、どうして海で泳げないことがあろう。ハワイに来て、美穂はまだ一度も海へ入ったことがなかった。結婚してすぐ子供が出来、生活に追われ、子供達の世話で息つく暇もなく歳月が過ぎてしまったのだ。青い海を眺めても、そういう生活が少しも苦にならなかったからでもある。


 
 ホノルルに来たのは12月に入ってから。台風並みの強い風。雨は一カ月以上も降り続いているという。日程もあわただしいだけに、ビーチにゆっくり行っている時間はない。せっかくビーチに近づこうとしても、突然雨が降ってきて邪魔をされる。オアフ島のビーチはどこも荒れている。常夏というハワイのイメージは崩れてしまった。冬に泳いでいる人はほんとどいない。寒いとまではいえないが、温暖とは言い難い天気だ。


レパルスベイ…1992年夏2011/03/15 21:03

森  瑤子著
『浅水湾の月』
1990年、講談社文庫

  冬以外の季節ならば、リパルス湾を望むそのパティオには白い籐のガーデン・ファーニチャーが置かれる。そして春には椿、夏にはカーネーションや百合やなでしこ、秋になると菊や真紅のけいとうといった花々が咲き乱れる。食後酒やエスプレッソを、気取った手つきで口へ運ぶ女たちの身につけている薄物が、はるか南シナ海から渡ってくる潮風になびき、男たちの口説き文句とそれを受ける女たちの忍び笑いとでさんざめいているところである。



 香港は何もかもが小さくまとまっている。箱庭のようなところ。大規模なものはないが、何でもある。小さいけれどもすべてが揃っている。
 この浅水湾(レパルスベイ)というビーチもその一つ。香港の名所ということで、タイガーバーム公園を見てから、この湾を訪れる。
 小さな砂浜だが、周囲の山々、高級マンションとが調和して、美しい光景を醸し出している。浅水湾(レパルスベイ)は映画「慕情」の舞台にもなっている。映画は勿論、その主題歌はあまりにも有名。
 このくらいの砂浜は日本ではいくらでもあるが、狭小な香港ではその価値も一層高まる。季節は夏。泳いでいる人はほとんどいない。あまりにも暑い香港の夏は海水浴には不向きなのだろうか。
 


エジンバラの海岸(その1)…2008年夏2011/03/19 20:02

イアン・ランキン著、延原泰子他訳
「大蛇の背中」
『貧者の晩餐会』
2004年、早川書房

   この話は、いいか1793年か94年のことだ。当時のエジンバラは今よりもずっとまともな街だった。いまじゃこの街では何事も起こらないが、あの頃は……あの頃は何が起こっても不思議じゃなかった。
 当時、エジンバラを訪れる者にキャディはなくてはならない存在だった。人を探す、伝言を伝える。あるいは一晩の宿、新鮮な牡蠣、シャツの仕立て、地元の娼婦が入り用ならば、キャディに頼めばいい。赤ワインで正体をなくしたとしても、キャディに言えば無事に家まで送り届けてもらえた。



 エジンバラは二階建てバスがくまなく走っている。市内のエリート学校を見た後、エジンバラの海岸にたどりついた。


 ここはいわゆる観光スポットというわけではなさそうだ。ちょっとひなびた海岸であり、観光客も来ていない。それでものどかな時間が過ごせて、別の趣を感じることができた。


 夏だけれど、海水浴客もいない。海の水は冷たく、そもそも海水浴には適していないのだろうか。きれいな砂浜が続いているのだけど。


 海鳥がひっきりなしに飛び交う。よく見ると、白い鳥、黒い鳥などいろんな種類が。スコットランドの大地と海を見下ろしながら。

エジンバラの海岸(その2)…2008年夏2011/03/22 22:46

アダム・スミス(Adam Smith)
『国富論』(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)
 
  2人の人間を付随させ、8頭の馬でひかせた、車輪の幅の大きな荷馬車を使えば、およそ6週間の時間で、約4トンもの商品をロンドンとエジンバラの往復で運ぶことができる。(拙訳)

 
 
 遠くを見やると船着場が見える。商船とか漁船というよりはプレジャーボートの類が多いようだ。ここはこうしたレジャーの拠点なのだろうか。


 行き来する船も見える。スコットランドというとエジンバラとグラスゴーがそこそこ大きなとして有名だが、エジンバラも経済的に重要な都市と言えるだろう。
 

 対岸の風景を撮影してみる。ここに映った塔のようなものは何だろうか。燈台だ。夏だけに過ごしやすいが、冬に来るととても寒そうだ。散歩に来ている人も少しはいるようだ。


 かの偉大な経済学者であるアダム・スミスはエジンバラの対岸にあるカコーディーという街の出身だそうだ。ここから見えるところだろうか。


サンディエゴの軍港…1983年夏2011/03/25 22:58

亀井俊介、 川本皓嗣編
『アメリカ名詩選』
1993年、岩波文庫

エミリ・ディキンソン
「声をあげて戦うことは、とても勇ましい」

勝利を得ても、国民は気がつかぬ----
倒れても、誰も注意を払わない----
その死にゆく目を、どの国も
愛国者への愛をもって見つめない----



 カリフォルニアのクレアモント研究所で研修を受けていた時、一度サンディエゴを観光案内してもらった。大学時代の友人がサンディエゴにホームステイして、さんざん自慢話をきかされていたが、他人の体験談というのは今一つ興味が持てなかった。


 しかし、実際に自分がその体験に関わるとなると、関心の度合いが違ってくる。クレアモントも素敵な街だが、静か過ぎて退屈する点もあった。それに海もなかった。


 サンディエゴは風光明媚な海岸もある素晴らしい都市だ。クルージングを楽しんだ。アメリカ海軍の軍艦が迫力だ。自由世界を守る艦隊との案内が流れる。



ミシシッピ川のほとりにて…2007年秋~冬2011/03/29 21:24

マーク・トウェイン著、西田実訳
『ハックルベリー・フィンの冒険(上)』
岩波文庫、1977年

   ミズーリ側はやまばっかしで、イリノイ側は木がいっぱい生えていた。川の水路は、そこいらではミズーリ側に寄っていたんで、誰かが川を渡っておらたちのほうへ来る心配はなかった。おらたちは、いちんちそこで横になって、筏や汽船が、ミズーリ側の岸のそばをスイスイ下っていくのを見ていた。



  セントルイスのアーチにのぼり、街の夜景を見た。そこから暗闇を歩いて、ステーキレストランを探す。暗闇にミシシッピ河が浮かぶ。対岸は治安の悪さでは有名なイーストセントルイスだろうか。こちらはミズーリ州、あちらはイリノイ州。トウモロコシを運ぶのはミシシッピ川を通してである。このトウモロコシはニューオーリンズまで行くのだろうか。ハリケーンカトリーナが来た時には、日本への輸入が危惧された。