ブロードウェイ(その3)…1983年夏2012/08/03 20:10

O・ヘンリ著、大久保康雄訳
『O・ヘンリ短編集(二)』
1969年、新潮文庫

<二十年後>
「おれは二十すぎてから、すこしばかり背が伸びたんだ」
「ニューヨークでは、うまくやってんのか、ジミー?」
「まあまあというところさ。市役所のある課に勤めているんだ。さあ、行こう、ボッブ。おれの知っているところへ行って、昔のことでもゆっくり話そうじゃないか」



 せっかくニューヨークに来たからには、ブロードウェイでミュージカルを見たいと思う。ニューヨーク行きはアメリカで急遽決まった訪問先なので、ミュージカルの情報もほとんど知らなかった。今のようにインターネットですぐ調べるというわけにもいかない。
 黄色が美しい看板に惹かれて、「ヨセフと不思議なテクニカラーのドリームコート」というミュージカルを見ることにした。ストーリーを完全に理解できたわけではないが、本場でミュージカルを見られたことに満足した。音楽、踊りを十分楽しめた。今あらためて写真を見ると、主演はDavid Cassidy(デビッド・キャシディ)となっている。
 終わると外は真っ暗になっていた。さすがに夜の地下鉄は怖い。タクシーが列をなして、お客さんを待っている。昼間に乗ってた地下鉄を利用しなかったことだけは覚えている。はっきり憶えていないが、ホテルが近かったので、タクシーではなく徒歩で帰ったと思う。

ブロードウェイ(その4)…1997年秋2012/08/07 20:48

ディケンズ著、伊藤弘之・下笠徳治次・隈元貞広訳
『アメリカ紀行(上)』
2005年、岩波文庫

   このブロードウェイほど日ざしの強い通りが今まであったであろうか!舗道の敷石は踏む足で磨かれて輝きを取り戻し、家々の赤い煉瓦はまだ乾いた熱い炉の中にあるかのようで、乗合馬車の屋根は、その上に水が撒かれたらシューシュー音を立てて白煙を上げながら消えかかった火のような臭いを発しそうである。



 2回目のニューヨーク訪問は14年後。ニューヨークは治安も良くなり、歩きやすくなった。他の都市も訪問することになっていたし、街づくりや商業再生などの視察で来ていたので、自由時間はあまりなかったが、夜はミュージカルくらい見に行こうという話になった。いったんは日程が確定したが、クルーズに変更になってしまった(それはそれで楽しかったが)。ブロードウェイ界隈を歩く時間はあった。「レミゼラブル」の看板がいい雰囲気を醸し出している。

ブロードウェイ(その5)…1997年秋2012/08/10 19:40

O・ヘンリ著、大久保康雄訳
『O・ヘンリ短編集(二)』
1969年、新潮文庫

<千ドル>
  ジリアン青年は通帳をかえして馬車に乗りこんだ。
「忘れていたものがある」と彼はつぶやいた。「トルマン・アンド・シャープ法律事務所へやってくれ----ブロードウェイだ」



 ニューヨークのブロードウェイ。42ndストリートのあたりでもある。「ディズニー」「ライオンキング」の看板が出ている。ニューアムステルダム劇場は昔から有名な劇場だ。ニューヨークの市役所に行ったり、再開発地域を見たり、忙しい日程に追われる。以前来た時に比べると治安もよくなっている。タイムズスクエアやブロードウェイをはじめとする繁華街も安心して歩ける。ただ、工事をしているところが多く、なんとなく誇りっぽい感じもする。

ロンドンミュージカル…2008年夏2012/08/13 07:05

鴻上尚史著
『ロンドン・デイズ』
小学館、2000年

  地下室で、芝居の続きが始まった。どうやら、地獄の設定らしい。しばらく見ていると、また登場人物が部屋を飛び出した。観客も走る。僕も走る。教会の一階に戻って、一番奥の部屋になだれ込んだ。



 時差ボケの中、ロンドンに到着。ホテルの近くを散策して、それからピカデリーサーカスへ。この後にオックスフォード、エジンバラの訪問も予定されていた。なかなか忙しい日程だ。「マンマ ミーア」の看板がある。ミュージカルと言うと、ブロードウェイだけでなく、ロンドンでも多くの出し物がある。
 忙しい仕事の合間をぬって、旅行に来ているため、残念ながらミュージカルやコンサートを見る時間がとれない。それでも、多くの人で賑わうピカデリーサーカスの雰囲気を楽しむことができた。この時のロンドンは景気も良く、ポンドも高かった。世界各国からビジネスマン、観光客が押しかけている。


ポリネシアンセンター(その1)…2007年秋~冬2012/08/17 14:08

ジェシカ サイキ著、池田年穂、倉橋洋子訳
『プルメリアの日々  ジェシカ・サイキ短篇集Ⅰ』
西北出版、1994年

<写真花嫁の到着>
「クマモトの娘が一番かわいいと誰でもいうわな?」と言って、彼はつのる気遅れを吐き出すように歓迎の風船をふくらませた。船が近づいてきて、デッキに一列に並んだ小さな人影が見分けられるようになった。向こうの方でもすでに手を振る者がいた。今さらどうしようもない。「おれの方のコトの家族は、海の向こうに住んでいるからハワイに来ても家に帰ったように感じるだろう」有無を言わせぬ口調で言った。



 ハワイのオアフ島のポリネシア・カルチャーセンターに行く。ホノルルの中心地から意外と遠い。オアフ島の北側にある。着くなり、「停電で出し物は中止」という看板を見て、がっくり。アメリカでは電力が足らなくて、このアトラクションは中止などという場面によく出会う。
   でも大丈夫だった。中止になるのは一部のショーだけで、食事会もステージで演じるメインのダンスショーも予定通りとのこと。先ずはルアウというハワイ料理を堪能しながら、ショーを見る。会場は満杯だ。

ポリネシアンセンター(その2)…2007年秋~冬2012/08/21 20:41

ジェシカ サイキ著、池田年穂、倉橋洋子訳
『プルメリアの日々  ジェシカ・サイキ短篇集Ⅰ』
西北出版、1994年

<古い習わし>
「桃の花は、ハワイでは故郷のように実をつけたりしないのね?」とベランダの上の仏像のようにじっと静かに座っているワタナベ夫人が言った。二人の女達は、なんとか生命を保とうとしている枯れかけた木に注意を向けた。



 何やら手に不思議なものを持った男たちが登場する。カラフルなマントを羽織っているし、南国にふさわしい色彩を楽しむことができる。食事をするテーブルに座りながら、出し物を見る。お客さんで満員だ。アメリカ本土からの観光客も多いようだ。日本人は意外と少ない。やはり休みが限られてしまうので、12月初旬は少なくなるのだろうか。食事はセルスサービスなので、好きなものを食べることができる。いろんな飲み物はあるが、アルコール類はない。

ポリネシアンセンター(その3)…2007年秋~冬2012/08/24 20:26

ジェシカ サイキ著、池田年穂、倉橋洋子訳
『プルメリアの日々  ジェシカ・サイキ短篇集Ⅰ』
西北出版、1994年

<プルメリアの日々>
  マハロ夫人から離れ去る時、ケイコはぎゅっとそのお金を握る。その船は、一時間以内に低い警笛をボーと鳴らして出帆の合図をすることを彼女は知っている。その定期船が出る時、ハワイアンの演奏家達は、伝統的な『アロハオエ』を演奏する。彼女にはもう聞き慣れた旋律が聞こえてくるようだ。



 まだまだルアウでの出し物は続く。大人に混じって、子供も登場する。夕方会場に入ったが、だんだんと日が暮れてくる。アメリカ研修の中でもハワイは最後の訪問だったので、こうした息抜きも終わりに近づいている。名残惜しい気分にも浸りながら、ポリネシアンセンターでの出し物を満喫する。ワシントンDCを皮切りに、アメリカ本土を移動してきているので、肉体的にはとてもきついが、精神的には充実した日々を送っていた。


ポリネシアンセンター(その4)…2007年秋~冬2012/08/28 20:41

ジェシカ サイキ著、池田年穂、倉橋洋子訳
『プルメリアの日々  ジェシカ・サイキ短篇集Ⅰ』
西北出版、1994年

<啓示>
 現在タニグチは、プランテーションの耕地監督として、毎日、人を扱っていた。彼は、ヒガサンに面と向かって笑うことはいけないと心得ていた。たとえそれが、そのような提案に対する最初の自然な反応としてもだ。



   夜になって、ダンスショーが始まる。ルアウとは別の劇場。フラダンスみたいなのんびりしたショーをイメージしていたが、火を使ったり、激しい動きを伴う踊りが多い。ここで働いているのはモルモン教の人たちばかり。ブリガム・ヤング大学の学生も多いようだ。。ポリネシアの他の島から来ている人も大勢。あっという間にショーが終わる。ポリネシア文化の不思議な世界を満喫した。だいぶ遅い時間。翌日は朝7時の便でハワイ島に行く予定だが。

ポリネシアンセンター(その5)…2007年秋~冬2012/08/31 21:08

ジェシカ サイキ著、池田年穂、倉橋洋子訳
『プルメリアの日々  ジェシカ・サイキ短篇集Ⅰ』
西北出版、1994年

<蓮の庭>
   二人は、州兵本部で行われた町の大規模な長時間ダンスでお互いにべったりくっついているのを見られた。そのダンスはFDR(フランクリン・デラノ・ローズヴェルト)という名の男のために開かれた民主党後援のものだった。本のページのようにぴったり寄り添った彼らは、『夕陽の染まった帆』と『港の灯かり』を踊って揺れた。



 ルアウとは別の会場で、この出し物は行われた。ちょっと席が後ろの方なので、写真もズームにしないと撮れないし、ピンボケになってしまう。それでもショーそのものは十分楽しめる。夜もふけてきて、こうしたショーにはいい雰囲気になってきた。火を使う踊りが多いが、熱くないのだろうか。ハワイの雰囲気にもぴったり合っている。
   ブリガム・ヤング大学ハワイ校の学生がアルバイトをして学費を稼いでいる。ポリネシアの島々からハワイに留学している学生がけっこう多いのだろう。やはりハワイに留学なんていうと、地元の島ではエリート扱いだろうか。