プレトリア/メルローズ・ハウス(その2)…2004年夏(現地は冬)2013/10/01 20:45

ナディン・ゴーディマ著、スティーヴン・クリングマン編、福島冨士男訳
『いつか月曜日に、きっと』
2005年、みすず書房

「血のように赤い二つの太陽が現れる 1977」
   海とは、コーサ人の先祖たちの霊が白人たちとその世界をまるごと放り込むと約束したところだ。それがトランスカイの南限になっている。長く伸びる海岸線の海に流れ出る川の河口にはどこにも小さなリゾート施設があり、南アフリカのふつうの中産階級の白人が顧客になっている。いまのところ彼らはまだ自分たちの手では汚していない自然の贅沢を満喫している。



   このメルローズ・ハウスは住所だと"Thabo Sehume St"となっているが、実際にはジェフ・マセモラ通りに面している。ジェフ・マセモラはネルソン・マンデラと同様、アフリカ黒人解放運動に関わっており、パン・アフリカ人会議(PAC)のリーダーだった。
   メールローズ・ハウスもそれほど大きなものではない。けっこう質素なつくりだ。 なおプレトリアは標高1300メートルくらいの街。ヨハネスブルグになると1750メートルくらいになる。

プレトリア/メルローズ・ハウス(その3)…2004年夏(現地は冬)2013/10/03 19:49

ナディン・ゴーディマ著、スティーヴン・クリングマン編、福島冨士男訳
『いつか月曜日に、きっと』
2005年、みすず書房

「空白の時代を生きる 1982」
   いずれこの国を支配する多数派の黒人たちの目を意識しながら、かつての南アフリカの白人たちは新しい集団生活の新秩序の中で自分を再定義しなければならないでしょう。議員全員が白人の国会にはじまって、会員は白人だけというカントリー・クラブ、さらには「白人専用」のテレビ局にいたるまで、黒人が白人の制度や施設を譲り受けて終わりという話ではありません。



   メルローズ・ハウスもクルーガー・ハウスと同じように質素な感じがする。ビクトリア朝様式の建物だというが、それほど大きな建物ではないので豪華さはない。このメールローズという名前はスコットランドの僧の名前から来ている。
   隣に英国軍の建物があり、戦争中は英軍の司令部だった。そして、戦争が終わって、英国軍の植民地支配をさらに強固なものとする条約が結ばれたのだ。大英帝国の植民地支配の歴史の一場面を見ることができる。

プレトリア/メルローズ・ハウス(その4)…2004年夏(現地は冬)2013/10/05 17:25

ナディン・ゴーディマ著、スティーヴン・クリングマン編、福島冨士男訳
『いつか月曜日に、きっと』
2005年、みすず書房

「本質的な身ぶり 1984」
   しかし、ソヴィエト、南アフリカ、イラン、ヴェトナム、台湾、ラテン・アメリカなどの国々では、これこそ、作家であれば当然引き受けなければならない社会的責任なのです。こうした国々では、作家は二重の要請を受けます。抑圧された人々は自分たちの代弁者になって発言してほしいと作家に迫り、その一方で、国家はその行為に対して作家を処罰しようとします。



   メルローズ・ハウスの裏庭にはお茶用の庭園があり、アンティーク市やバザーなどが開かれているようだ。プレトリアを観光すると、フォールトレッカー開拓記念碑、クルーガー・ハウス、メルローズ・ハウスを3点セットで見ることになる。いずれもボーア人、あるいは英国人対ボーア人の視点での歴史を見ることになるが、アフリカ土着の人々の視点は入ってこない。英国人にしてもボーア人にしても白人の入植者で、昔から住んでいた人たちではない。

ボルチモア・ビジョナリー博物館(その1)…2007年秋~冬2013/10/08 21:19

ローラ・リップマン著、岩瀬孝雄訳
『ボルチモア・ブルース』
2000年、早川文庫

   エヴァはイーデンにあるイーデンズ・ランディングに住んでいた。国立水族館に近い、ピンクの大理石とガラスブロックで造られた中層のコンドミニアムだ。テノチティトランの太陽のピラミッドを模した建物のようだが、歴史の重みや左右対称にも欠けている。



   アメリカ合衆国のメリーランド州のボルチモア。二回目の訪問である。ちょうど10年ぶり。最初に来たときは船に乗って、都市開発の視察をした。今回はボルチモアの水族館を見て、そのあと自由時間があった。寿司弁当を食べてから、インナーハーバーを散策した後、ある美術館を発見した。ビジョナリー博物館というところだ。よくわからないが、入ってみる。

ボルチモア・ビジョナリー博物館(その2)…2007年秋~冬2013/10/10 20:06

ローラ・リップマン著、岩瀬孝雄訳
『ボルチモア・ブルース』
2000年、早川文庫

   翌朝、アメリカ大統領にベーグルを食べるのを邪魔されることになった。----テスが奇妙な夢を見たわけではない。
   初めてのことではなかった。ボルチモアには大統領や大統領夫人、閣僚その他がよくやってくるのだ。ワシントンからパークウェイでわずか四十五マイルのところにあるので、ここ十年ほど、ボルチモアにはそれらの人々がやってきては貧しい人々と----本当の生活者たちと----いっしょに写真におさまっていくのだ。



   このビジョナリー美術館は素人も含めて、型にはまらない芸術作品が展示されている。勿論、そのまま有名な芸術家になった人もいる。誰でも知っているような芸術家の作品はほとんどないが、個性的なものばかりだ。中のカフェでちょっと休憩したいと思ったが、休みだった。
   絵葉書だの売っているお土産屋はやっていた。小銭をジャラジャラ出して、使い切ってしまおうと思った。アメリカはセールスタックスが外税でかかることが多いので、最後はいくらになるか分からないこともある。小銭をあるだけ出したが、1セント足らなかった。しかし、そこはアメリカ。ちょうどとみなしてくれた。

ボルチモア・ビジョナリー博物館(その3)…2007年秋~冬2013/10/12 07:07

ローラ・リップマン著、岩瀬孝雄訳
『ボルチモア・ブルース』
2000年、早川文庫

   「死刑囚棟ですか?」とテスは尋ねた。これまで二つの入口でも同じことを尋ね、無言のうちに退けられていた。
   「メリーランドには死刑囚棟というのはないんだよ。死刑囚の何人かはここにいるが、あとは州の重犯刑務所に入れられている。誰に面会しにきたのかね?あんたの名前は?」
   門衛はクリップボードをチェックすると、テスにもう一つのドアのところに行くように言った。そこにはテスをタッカー・フォーキアのところへ案内すべく係官が待っていた。



   ビジョナリー美術館の外壁に貼ってあるポスター、卵のような作品を見ても、不思議な感覚にとらわれる。一般の人の願いを書いた絵葉書も展示されていた。キリスト教に関するものも多く、いかにアメリカの市民の信仰心に篤いかを認識することができた。
   ボルチモアはワシントンDCから列車で1時間くらいの距離なので、首都からかけつけやすい。アメリカの研修のプログラムにはフィラデルフィア観光と書かれていたので、そっちに行けるかと思ったが、結局はボルチモア行きになった。水族館、フェデラルヒル公園、ビジョナリー美術館をセットで見るとあっという間に時間が過ぎてしまう。

ベルリン博物館島(その1)…2001年夏2013/10/15 20:52

『ベルリン・ノワール』
扶桑社、2003年

テア・ドルン著/「犬を連れたヴィーナス」
   Sバーンは、崩壊した家々の前を、がたがたと音とたてながら走り抜けていく。
   ”ベルリンに安楽死を!”彼女はすべての車輪と唱和して、そう叫んだ。

ハイナー・ラウ著/「廃墟のヘレン」
   ああ、ダニエル、きみは笑っているな。だが、ドイツの連邦議会のシュテファン・ハイムがその上、何と言っているか? われわれ東の人間は、魂を失い、スポイルされた西の人間のような物質主義者ではない。そうではなく、われわれの欲しいのはただ、支払い可能な住居、絶対確実な職場、子どもたちののための完全に保証された未来、安価な車とガソリン、格安な旅行だけだ。



   ローマからベルリンにやってきた。イタリアとドイツはある意味対照的でそれぞれに良さがある。どちらの街でも空港からタクシーに乗ったが、ローマでは携帯片手で乱暴な運転をしていた。時々他のドライバーを怒鳴っていた。ベルリンに着くと、タクシーの運転手も紳士で、英語もうまかった。街について説明もしてくれる。ベルリンの街も緑がいっぱいでとても美しい。
   最初に旧東ベルリン地区を散策する。ウンター・デン・リンデンやテレビ塔を見る。さらにこのあたりを歩く。ベルリン大聖堂も見える。博物館島といわれる地域にたどり着いた。
   ドイツ統一まで、当然のことながら、このあたりの美術館は東ドイツの管理下に置かれていた。シュプレー川の中州に5つの美術館が建てられている。まさに世界の芸術作品が集まっている場所だ。全部見るわけにもいかないので、一部の館をさっと見る。

ベルリン博物館島(その2)…2001年夏2013/10/17 20:07

『ベルリン・ノワール』
扶桑社、2003年

フランク・ゴイケ著/「ガードマンと娘」
   ユリアーネは不平も言わずについてきた。異国的な容貌にもかかわらず、彼女は家庭生活を愛し、いったん築き上げたその秩序に、しがみついた。彼女は士官の妻には向いていなかったのだ。最初の異動のとき、彼女はこらえただけだった。そして妊娠した。二度目の異動のあと、彼女は離婚を申し出た。東ドイツが崩壊に瀕していたころ、彼女はギリシャ人と再婚し、俺の娘も引き連れて、エーゲ海方面に行方をくらました。その後一度として音信はなかった。



   この博物館島には、旧博物館、新博物館、旧国立美術館、ボーデ博物館、ペルガモン博物館の美術館がある。それにしても、英国、フランス、ロシアなどと並んで、ドイツにも立派な美術館があり、人類の遺産ともいえる多くの作品を保存している。ドイツ統一後は東西両ベルリンの美術館を整理統合し、一元的な運用が行われている。
   なお美術館を見る際に、手荷物を預けないといけないらしい。どうしたらいいのか聞くが、はっきりしない返事。もう一度聞くと、係官が怒った。「そこに書いてあるだろうが」と。旧東ベルリンだからと決めつけるわけではないが、接客マナーに慣れていなかったのかもしれない。それでも美術品はなかなかのものだった。こうした係官と世界有数の美術品とのギャップがある意味面白かったともいえる。

サンフランシスコ近代美術館…2007年秋~冬2013/10/19 07:46

アラム・サロイヤン著、三谷貞一訳
『花のサンフランシスコ』
晶文社、1982年

   ルーは自分の車を時空の彼方へ連れてゆくタクシーに変える。サンフランシスコの秋、澄んだ日の光の中を飛び交う飲んだくれのパーティ。ルーは仏教徒が共同で暮らしている<イースト・ウエストハウス>に住んでいる。しかしジャックは感謝祭までには、ノースポートの屋根裏部屋の書斎に帰りたがっている。



   カリフォルニアで研修を受けていた時に、週末が観光の日となった。午前中と昼過ぎまでサンフランシスコを案内してもらって、その後は自由な時間ができた。バークレーあたりまで行こうと思ったが、あまり土地勘もない。
   そこでサンフランシスコ近代美術館 (SFMoMA)を見ることにした。わかりやすい場所にあるので、すぐ見つけることができた。サンフランシスコでの残された時間も少ないので、速足で広い会場を巡る。アンディー・ウォーホル等の有名な芸術館の作品もあり、近代的なものばかりなので、しっくりくる。

サハリン州立美術館(その1)…2012年夏2013/10/22 20:11

森林太郎著
『鷗外選集 第15巻』 
岩波書店、1980年

<樺太脱獄記 コロレンコ>
   載せてある囚人の数は、それを護衛してゐる兵卒の数より多い。その代り囚人は一足歩くにも、ちょつと動くにも、厳重な取締を受けてゐる。かうして暴動などの起こらないやうに用心してあるのである。



   ユジノサハリンスクの街を歩く。ルーブルの持ち合わせがほとんどなかったので、まず銀行に行ってから。それから観光へ。かつては北海道拓殖銀行の豊原支店だった建物。なかなかしっかりした建物だ。サハリン州立美術館となっている。せっかくだから入ってみることにする。通常の入場料のほかに追加料金を払ったので、写真撮影も可能になった。お金を払ったのだからと、やみくもに写真を撮ってしまったが。