台湾鉄道の旅(その7)…2007年夏2016/06/16 12:07

白先勇・張系国他著、山口守監修
『バナナボート--台湾文学への招待』
JICC(ジック)出版局、1991年

張系国作、野間信幸訳<バナナボート>
   離陸直前になって、彼らは男を護送してきた。


   これも屏東駅。日本のおでんが売っていた。「関東煮」と書いてあるが、これは関西でおでんをさす言葉だ。真夏なのにこんなおでんが売られているのには驚いた。本当はもっと南の方に行ってみたかったが、あまり時間もない。台湾本島の最南端の岬、少数民族の文化など見どころも多いのだが。


タリン(エストニア)旅情…2013年夏(その71)2016/05/19 17:05

M・ザドウナァイスカ再話、B・シャトゥーノフ絵、宮川やすえ訳
『うみの女王とまほうのスカーフ--エストニアの民話--』
岩崎書店、1991年

   と、としよりの りょうしが はんたいしました。


    さて港に近づくにつれて、お土産屋や市場が目立つようになる。なんか変なデザインの物を売っている店もある。エストニアの民芸品というわけでもない。この市場の人たちの会話を聞いていたが、ほとんどロシア語だった。ロシア系住民がこうした仕事に就いているのだろう。
   かなり暑いので、アイスクリームを買う。欧州は空気が乾燥しているから、余計アイスクリームがおいしく感じられる。他の店で少しお土産を買った。帰りの船でも同じものが売っていたが、街中の方が遥かに安かった。




京畿道 水原を歩く…2014年夏(その20)2015/12/20 07:22

阿部美穂子著
『韓国幸せごはん--阿部美穂子の食べてキレイになる!--』
ワニブックス、2006年

   韓国では、31日のハロウィンを前にして、レストランやカフェ、遊園地やホテルなどでも様々なイベントが行われます。


   駅前のデパートの飲食店街。意外と日本食の店が多い。他の売り場も活気がある。けっこう人が多くて、賑わっていた。地元の人が多いのだろう。水原華城の方はそんなに人がいなかったが、地元の人がしょっちゅう来る所ではないだろうから。



ユジノサハリンスクでアイスクリーム…2012年夏2013/02/05 21:11

ネクラソフ作、谷 耕平訳
『ロシアは誰に住みよいか』
1961年、岩波文庫

ところでわしは学ある男
モスクワにもピーテルにもいたことがある。
シベリヤにも商人と一緒に行った、
あそこに居残らなかったのがくちおしい!
巧者だが ときたま
どじばふむ! うぬぼれ百姓!



   サハリンのユジノサハリンスク。アジア系の若い女性が屋台でアイスクリームを売っていた。最初に買おうとしたところはお釣りがないと言われて、あきらめた。日本と違って、外国はお釣りを用意してない場合が多いので、できるだけ小銭やら細かい紙幣を増やしていくことが望ましい。財布の中はパンパンになってしまうが。
   他の物を買って、お釣りをもらい、小銭をかき集めて、アイスクリームを買うことにした。最初にアイスクリームがいくらか聞いていたので、正確にお金を出すことができた。チョコレートが塗ってあるアイスクリームを購入した。アジア系の女性はいなくなってしまったので、別のアイスクリーム屋を探した。

モスクワでソーダ水…1980年夏2013/02/01 20:36

鈴木俊子著
『誰も書かなかったソ連』
1979年、文春文庫

   この食器店でも、大勢の客がイライラしながら、不快きわまる超満員の群集の中で待っているのに、二人の女店員は客のいらだつけわしい目を意識しながら、ふざけ合い、仕事をそっちのけで男友達の話に夢中になっている。また、しなくてもいい掃除をわざとていねいにやってみたいりているのに、不思議なのは、客からなにひとつ文句が出ないことだ。



   これもソ連時代のモスクワ。ソーダ水の自動販売機をよく利用した。日本のように精度の高い機械はないのだが、味わいがあってなかなか良かった。ソーダ水ではないが、ロシアにはクワスという飲み物もあって、その販売機もたまに利用した。ガラスのコップがあって、そこに入れて飲むことになる。コップを洗うための水は出るのだが、ちょろちょろとしか出ないので、きれいに洗うことができない。あまり衛生的ではなかったけど、もったいないから、しっかり飲んでしまった。
   やはり空気が乾燥しているので、飲みものはすぐ欲しくなる。夏なのに、もう長袖やコート姿の人を見かける。男性が着ているものを見ると、かなり野暮ったい。昔のロシアの小説に出てきてもいいような雰囲気だ。しかし、女性はなかなか綺麗な格好をしている。計画経済だが、女性のものは優先してデザインを良くしているのだろうか。材質では日本のものにかなわないだろうが。

モスクワでアイスクリーム…1980年夏2013/01/29 21:01

鈴木俊子著
『誰も書かなかったソ連』
1979年、文春文庫

   モスクワにいる外国人は、どうしても食料品のドルショップに通わねばならない。国営商店は品うすだし、農民が住宅付属地(庭)でつくった野菜、くだもの、ジャガイモ、花などを自由価格で売るコルホーズ市場(自由市場)のものは値段が高すぎるからだ。だがいちばん需要の多いドルの食料品店が、モスクワ市にただの一軒しかない。私たちのアパートから車で二、三十分のところにあり、食料の買い出しはひと苦労だった。



   ソ連時代のモスクワ。空気が乾燥しているので、アイスクリームがうまい。冬でもアイスクリームは人気がある。夏ならなおさらだ。北国のロシアだけに、そんなに暑い日は少ないが、アイスクリームが食べたくなる。街の中は行列だらけだが、アイスクリームはそんなに並ばずに買うこともできる。
   アイスクリームはこうした屋台で買うことができる。見ると、女の人たちが集まっている。ロシア滞在中に何度買って、食べたことだろうか。レニングラードでもけっこう食べた。ソ連自慢のアイスクリームだが、実はアメリカの技術が入ってきて、広がったという説も聞いた。いずれにしても、アイスクリームは手軽に買えて、食べられるから楽しみの一つだった。

高雄からのビジネスクラスで機内食…2007年夏2013/01/25 20:38

司馬遼太郎著
『街道をゆく40<新装版>台湾紀行』
2009年、朝日文庫

   『台湾獄門島』の著者は、当時、台北市の師範学校に在学していて、故郷の高雄のことを心配していた。
   台北に端を発した暴動は、一時期、政府側を圧迫した。やがて大陸から軍隊が送られてきて、政府側は鎮圧に出た。


   高雄を中心に台湾を回った。帰国のために、空港に着いて、出発ゲートでゆっくりしていた。突然名前を呼ばれたのでびっくりした。「あなたの席はとれていません」と言われ、衝撃を受けた。でも、その後に、「代わりにビジネスクラスの席を用意しました」と言われて、災い転じて福となったことが理解できた。
   日本アジア航空のビジネスクラス席に座る。食事も格上げとなり、気分が良かった。たまにエコノミーなのに、ビジネスクラスに格上げしてくれることがある。ノーマルチケットで買っていて、空いている時などはそういうことがある。高雄から成田のビジネスクラスで和食の機内食をおいしく食べた。ゆったりと過ごすことができて、快適だった。食後のフルーツもこれまた美味かった。

高雄でパイコー麺…2007年夏2013/01/22 20:34

司馬遼太郎著
『街道をゆく40<新装版>台湾紀行』
2009年、朝日文庫

   高雄のホテルで、柯旗化氏の『台湾監獄島』を読んだ。柯旗化氏は、英語学者であり、高雄で出版社を経営している。
   5年前(1988)、蔣経国が死に、憲法の規定によって李登輝さんが副総統から総統に昇格した。その前後から、台湾の言論は自由になった。



   台湾の高雄でパイコー麺(パーコー麺とも言う)を食べた。このパイコー麺には親しみがある。ずいぶん前から、日本国内でもよく食べていた。ただのラーメンだと食事としては寂しいが、パイコー麺なら満足感も大きい。台湾は日本から近いので時差ボケも移動疲れも少なく、体調を崩さす旅行できるのが利点だ。
   この年は秋から冬にかけてアメリカに研修に行くことになっていたので、夏の旅行は近場の台湾にすることにした。台北には行ったことがあるので、高雄中心の旅行にした。台北に比べると高雄はちょっとスケールが小さいが、楽しめる街だ。この高雄のパイコー麺はとてもおいしかった。

ロンドンでソーセージ…2008年夏2013/01/15 22:26

セドリック・ディケンズ著、石田敏行訳、石田洋子訳
『ディケンズとディナーを―ディケンズの小説中の食べもの散歩』
モーリス・カンパニー、1987年

   共有緑地の隣りのトゥールソン氏は太っていて陽気で、いつも私を歓迎してくれました。彼からは、肉を食べごろになるまで吊るしておくことや、大きな塊でのきり方や料理法など、肉に関することを教わりましたが、残念ながらそのほとんどを忘れてしまいました。彼はソーセージ製造機も持っていました。しかし、その持ち主をもソーセージにしてしまった、サム・ウェラーの「永久特許のソーセージ蒸気エンジン」(「ビックウィックイ遺文集」)ほどすぐれたものではありませんでした。



   ロンドンのアールズコートにあるパブに何回も通った。この日はソーセージを注文した。なかなかボリュームがある。マッシュポテトのつけ合わせもあるから、これでちょっとした夕食になる。けっこうお腹が膨れる。注文した黒ビールにはよく合う。
  パブの中でも一番ゆったりした場所に座って、緑に囲まれたテーブルで食べるソーセージはおいしかった。パブの敷地には木が植えてあって、夕涼みするには最高の環境だった。ロンドンを訪問した後はエジンバラにも行く予定なので、あわただしい日程だったことは事実だが。

エジンバラ大学でガモンサンド(その2)…2008年夏2013/01/11 16:42

セドリック・ディケンズ著、石田敏行訳、石田洋子訳
『ディケンズとディナーを―ディケンズの小説中の食べもの散歩』
モーリス・カンパニー、1987年

   少々無分別ながら、プロテスタントの布教活動に献身しているヴァーデン夫人は、熱中のあまりこれからの生活に不安を感じ、寝室で質素な食事をとりました。しかし、食事の内容はおだやかな食欲を満たすためには十分に実質的で、バランスのとれたものでした。
「濃くて強いお茶をポットに1杯、バタートースト2枚、並の大きさのビーフとスライスハム、そして8ッ折版2巻本の『プロテスタントの心得』」(「バーナビー・ラッジ」)


 
   エジンバラ大学のキャンパスにあるパーラーに入った。前回は中身を見てない写真を紹介した。今回はその中身の写っている写真。パンを開くとこうなっていた。長い間バスに乗って、遠回りでエジンバラ市内を巡ってしまったので、ゆっくり腰掛けて食べるサンドがひときわおいしく感じられる。
   夏休みのせいだろうか、学生はあまり見かけない。ここは理工系の建物が中心なので、大学生協で売られている書物などもその関連のものが多い。ガモンサンドはまあまあいけた。海外に行くとどうしてもコーラーを多く飲んでしまう。