サハリン州郷土博物館(その38)…2012年夏2014/03/01 08:17

宮澤賢治著
『宮澤賢治全集第二巻』
筑摩書房、1973年

<樺太鉄道、「春と修羅」>
Van't Hoff の雲の白髪の崇高さ
崖にならぶものは聖白樺
青びかり野はらをよぎる細流
それはツンドラを戴り 
   (光るのは電しんばしらの碍子) 



 博物館の敷地の中に、こんな建物があった。日本式の離れと言えるものか。博物館はもともと日本のものだったから、日本的なものをできるだけ維持しているのだろうか。
   樹木や花もけっこうあって、博物館全体を魅力的なものにしている。建物は比較的新しい。最近建てられたものだろうか。

サハリン州郷土博物館(その39)…2012年夏2014/03/04 21:05

宮澤賢治著
『宮澤賢治全集第二巻』
筑摩書房、1973年

<樺太鉄道、「春と修羅」>
こんなに青い白樺の間に
鉋をかけた立派なうちをたてたので
これはおれのうちだぞと
その顔の赤い愉快な百姓が
井上と少しびつこに大きく壁に書いたのだ



   博物館を反対側から見た。こちらの方がお城みたいで、また別の印象を与える。こちらの方が日本的な印象を受ける。既に中のものを十分見たので、ゆったりした気分で敷地内を歩く。
   美術館を見て、さらに郷土博物館を見たら、ユジノサハリンスクの観光のメインは終えたくらいの位置づけなので、あとはゆっくりしようと思った。このあたり、時間がゆっくり流れている。あくせくしても仕方ない。


サハリン州郷土博物館(その40)…2012年夏2014/03/06 20:03

宮澤賢治著
『宮澤賢治全集第二巻』
筑摩書房、1973年

<鈴谷平原、「春と修羅」>
チモシイの穂が青くたのしゆれゐてる
それはたのしくゆれてゐるといつたところで
荘厳ミサや雲環とおなじやうに
うれひや悲しみに対立するものではない



   博物館にはえていた野草。丸い葉っぱがとてもかわいらしい。花が控えめに咲いて、北国の短い夏に映えている。これはキンレンカ(ナスタチウム)だろうか。
   忙しい合間をぬって、短い旅行にやってきた。ロシアのビザが要るから、申し込みもギリギリだった。ユジノサハリンスクの街を気ままに歩く。この丸い葉っぱにはなんだか癒された。

サハリン州郷土博物館(その41)…2012年夏2014/03/08 08:24

宮澤賢治著
『宮澤賢治全集第二巻』
筑摩書房、1973年

<鈴谷平原、「春と修羅」>
鈴谷平野の荒さんだ山際の焼け跡に
わたくしはこんなにたのしくすわつてゐる
ほんたうにそれらの焼けたとゞまつが  
まつすぐに天に立つて加奈太式に風にゆれ
また夢よりもたかくのびた白樺が
青ぞらにわづかの新葉をつけ
三稜玻璃にもまれ



   また別の角度から博物館を撮影したもの。日本庭園の中から建物を見る。これも正面からと違って、独特の趣をかもし出している。狛犬が小さく映っている。中の展示物も面白いが、緑が豊かな博物館はその敷地内を歩いてみても別の魅力がある。


サハリン州郷土博物館(その42)…2012年夏2014/03/11 20:14

宮澤賢治著
『宮澤賢治全集第二巻』
筑摩書房、1973年

<鈴谷平原、「春と修羅」>
こんやはもう標本をいつぱいもつて
わたくしは宗谷海峡をわたる
だから風の音が汽車のやうだ
流れるものは二条の茶
蛇ではなくて一匹の栗鼠
いぶかさしさうにこつちをみる



   日露戦争時代の大砲がある。最初のものは日本軍が使っていたもの。二つめは、日本の海軍が日本海海戦でバルチック艦隊を破り、戦利品として得たもの。明治三七八年戦とは日露戦争のこと。考えてみると、日露戦争から百年以上の月日が経っている。日露戦争百周年の頃はけっこう話題になったが、それからまた7、8年が経ってしまった。



サハリン州郷土博物館(その43)…2012年夏2014/03/13 19:57

間宮林蔵術、村上貞助編、洞 富雄・谷沢尚一編注
『東韃地方紀行他』
平凡社、1988年

<北夷分界余話>
 此島を称してカラフトといふ事、其来由をしらず。林蔵この島を巡して至る処、を島夷に質問するといへども、島夷も亦其来由をしるものなく、只蝦夷島の称呼する処なりと答へ、奥地夷に至ては、カラフトの称呼ある事だにしる者なし。



   観光をしている人たち。家族連れでのんびりと博物館を見ている人が多い。地元から来ているのか、それともロシアの別の地から来ているのか。確かに、この地域一帯はのんびりとしている。
   治安も思った以上に良かった。石油で潤っているので、仕事もけっこうあるのだろうか。たまたま太った女性が写ってしまった。ロシアではこういう人は珍しくないが。


モスクワ地下鉄(その1)…1980年夏2014/03/15 07:31

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

中条百合子「モスクワ印象記」
   四月になった。窓から見えるクレムリンの赤旗は活々翻り始めた。空は碧い。白く小さい雲が空に浮き、日本女の狭い部屋の衣装棚の鏡に、金色の反射がちらついた。往来を隔てて彼方側の丘にある基督救世主寺院の金の円屋根から春の光が照りかえした。



    はじめて行った外国がソ連(ロシア)なので、海外での地下鉄体験も当地から始まった。最初にモスクワに宿泊したが、さっそく地下鉄に乗ってみる。モスクワ全体の印象は何もかもが大きく、ちょっと汚いという印象。地下鉄もあまりきれいとはいえないが、快適である。
   地下200メートルの世界に入っていく。戦争中は防空壕の役割も果たしていたと聞く。大理石、シャンデリアなどがあり、モスクワの地下鉄の駅は豪華だ。国威発揚の目的もあるのだろうか。大きな5カペイカのコインが切符代わりとなる。切符を買わなくてもいいので、とても便利だ。

モスクワ地下鉄(その2)…1980年夏2014/03/18 19:52

海野弘編
『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』
平凡社、1991年

中条百合子「モスクワ印象記」
   総ての権力をソヴエトへ。ーー赤いプラカートが十月の風にはためいて街の上にあった。其以来、CCCPの標語は様々に推移して、現在では、元の蝙蝠座今の第一諷刺劇場の幕切れにまで赤い布が出る。白い文字がその上にある。文字は左から大きく工業化へ!



   モクスワの地下鉄。モスクワに最初に短い滞在をして、その後レニングラード(現在サンクトペテルブルグ)に長い滞在をして、またモスクワに戻ってくるというパターンだった。最初はモスクワの方が印象が良かったが、レニングラードに馴染んできて、そちらの方が気に入ってしまった。
   ただ、地下鉄のある都市は旅行者にとってとても動きやすい。モスクワもその一つだ。地下鉄の車内でシャッターを押す。当時のソ連は写真撮影にけっこう制限があったので、緊張していたが、誰も止める者はいなかった。

モスクワ地下鉄(その3)…1980年夏2014/03/20 20:13

ドミトリー・グルホフスキー著、小賀明子訳
『METRO2033(上)』
小学館、2011年

   しかし、あのネズミどもが住む王国の実態は謎のままだ。そもそも、なぜ秘密めいた地下迷路が、このモスクワ地下鉄--メトロ網の途方もなく深い場所に建造されたのかも、今となっては誰一人知る者がいないのだ。



   モスクワの地図を見ると、道路の状況は東京によく似ている。環状の道路がいくつかあって、中心部から外に向かっている道路もある。他にもこうした街は少なくない。京都のような碁盤の目のような都市もあるが、こうしたモスクワのような大都市もけっこうある。
   当然、地下鉄も街に合わせてつくられている。地下鉄の駅内や通路では大理石がふんだんに使われている。シャンデリアも豪華で荘厳な雰囲気である。

モスクワ地下鉄(その4)…1980年夏2014/03/22 14:14

ドミトリー・グルホフスキー著、小賀明子訳
『METRO2033(上)』
小学館、2011年

   アルチョムは考え込んだ。クレムリン駅での、あの感動、素晴らしい壁画や彫刻の、広々とした空間を見た時に感じたわき上がるような思いは、ひょっとしたら、自分自身の気持ちではなかったのかもしれない。地下にひそむ化け物が吹き込んだものだったのかも?



   滞在していたホテル”コスモス”は地下鉄の駅のそばにあったので、とても便利だった。ВДНХ--"Выставка Достижений Народного Хозяйства"「国民経済達成博覧会」が近くにあった。
   駅名もまさにその名前。夏の滞在だったので、外を歩くことは快適だったが、真冬などはますます地下鉄のありがたみが大きくなるだろう。モクスワの地下鉄は安くて、便利な交通手段だ。