ヘルシンキ--タリン間のフェリー航路(その33)…2013年夏 ― 2014/09/30 20:44
ケント・ハールステット著、中村みお訳
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年
町に出ると、「ケント、ルンドへ帰還!」などの見出しがついた地方紙の写真入り張り出しが、目に飛び込んできた。どこに行っても顔を覚えられていて、時にはおかしなことも起きた。薬局へ行くと、僕に点鼻薬を売った、と薬剤師が有頂天になった。
さて、夕陽を撮影するのもそろそろ終わりにする。だんだんとヘルシンキに近づいていく。早く船を降りたい人で、出口は混みそうだ。それから駅に行って、さらに空港近くのホテルにリムジンバスで戻るので、こちらとしてもそろそろ甲板から引き上げないといけない。夕陽が限りなく水平線に近づくところの最後の写真を撮る。
もう甲板には人がいなくなっていた。港に近づくにつれて、下船するための行列ができていた。夏の旅行シーズンだけに、行きも帰りも満員だった。旅行には一番いい時期だから、当然だろう。そして、エストニアの旅からヘルシンキに戻ってきた。
『死の海からの生還--エストニア号沈没、そして物語はつくられた--』
岩波書店、1996年
町に出ると、「ケント、ルンドへ帰還!」などの見出しがついた地方紙の写真入り張り出しが、目に飛び込んできた。どこに行っても顔を覚えられていて、時にはおかしなことも起きた。薬局へ行くと、僕に点鼻薬を売った、と薬剤師が有頂天になった。
さて、夕陽を撮影するのもそろそろ終わりにする。だんだんとヘルシンキに近づいていく。早く船を降りたい人で、出口は混みそうだ。それから駅に行って、さらに空港近くのホテルにリムジンバスで戻るので、こちらとしてもそろそろ甲板から引き上げないといけない。夕陽が限りなく水平線に近づくところの最後の写真を撮る。
もう甲板には人がいなくなっていた。港に近づくにつれて、下船するための行列ができていた。夏の旅行シーズンだけに、行きも帰りも満員だった。旅行には一番いい時期だから、当然だろう。そして、エストニアの旅からヘルシンキに戻ってきた。
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